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2015-08-12

ご無沙汰です

ずいぶんと放置していました。
変わらず家紋研究しております。

最近、家紋を制作して欲しいなどのご依頼を多く受けております。
「家紋を新しく作る」ということは珍しくありません。
家紋はいわゆる庶民は明治に入ってから作った家は多く、家紋がどの家にもある(もちろん現在も無いお家は存在します)ようになってきたのは戦後の近代化のタイミングからだと思われます。
家紋を新しく作るのは家紋が無いお家だけではなく、「わからなくなった」「家紋を変えたい」という理由などが多いです。
「家紋を変えたり新しく作ってはいけない」という法律はもちろんありませんし、そんな習慣もありません。
家紋は基本自由です。
ですが、自由だからと言って、好き勝手するのも問題あると思います。
家紋と名字は元々対でありましたから、なるべく名字に対となる家紋のモチーフを選ぶのが良いかと思われます。
家紋は様々な制約から発展し、進化してきたものです。
まずは紋帖や家紋事典などをよくご覧になって、その上で専門家に相談するのが良いでしょう。

家紋は単なる模様ではなく、家を守る為の印です。
つまり意義や意味や主張の無い紋は単なるデザインにしか過ぎないのかもしれません。
着物の背中に家紋を入れる理由も「背守り」としての意味合いが強いです。
いわゆる「霊」は背中から入り込むとも言われ、気の動きでも背中は重要なポイントだそうな。
背中は自分の目の届かないところであるがゆえに家紋を付ける事で自分自身も守っているのかもしれませんね。

いよいよお盆です。
墓参りへ行かれる方も多いでしょう。
自分の家の家紋をご存じ無い方はご自分の家の墓に家紋がちゃんと刻まれているか確認してみてくださいね。
もし入っていない場合、家紋はちゃんとあるのかどうかを親や親族に聞いてみるといいでしょう。
もちろん分からないことも多いと思います。
そんな時は家紋の専門家にまず相談してみると良いと思います。
毎年のことですが、お盆や正月などの一ヶ月くらい前辺りから、私の著書『日本の家紋大事典』が動きを見せています。
やはり親族が多く集まる時期などには家紋が気になってくる方が多いのかもしれませんね。
少しでもお役にたてたら幸いです。

関係ないですが、いつか1万点を越える家紋を掲載した本を出したいなと考えてます。
非常にマニアックな本ですから、欲しい人いるかどうかは分からないですが。。。

それではまた。
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2014-11-19

京都府下の寺社紋(寺紋・神紋)

日本の紋章には種類が様々ある。家紋もその中の一つであると考えるのが望ましい。
今回のメインテーマは「寺社紋」。読んで字の如く、「寺の紋」「神社の紋」のことである。
寺院が使う紋章は「宗紋」と寺紋」に別けられる。
宗紋は宗派による紋章。その多くは総本山などの寺紋を宗紋としているケースが多い。
寺紋はその寺の紋章だが、本来は宗紋と区別するもの(?)だが、寺紋が宗紋であるというケースもある。
神社が使う紋は総称として「神紋」といわれる。
神社が祀る御柱の象徴の紋章が本来は「神紋」であり、神社、つまりお社やお宮の象徴の紋章を「社紋」という。
しかし神紋と社紋が同じであることが大多数であるため、御柱の紋章も神社の紋章もひっくるめて「神紋」と呼んでいる。

私は家紋の研究のために、当初は墓地のみを巡っていた。
京都という場所にいながら、神社や寺に興味がなく、家紋のみに焦点をおいていた。
しかし気づけば、寺にも興味を持ち、その付近にある神社にも興味を持つようになった。
やがて、寺や神社の紋の収集も行うようになるが、訪れただけでは紋が何か分からないことも多々ある。
必ずしも神社で紋が見られる、寺で紋が見られる、というわけでも無いのである。
そこで「寺紋・神紋」をまとめた本や文献は無いのだろうか、と調べてみるが、これが無い。
家紋研究家の故丹羽基二氏の『寺紋』『神紋』以外に資料が見当たらない。
全国の寺社紋を調べる、網羅するのは非常に困難である。
今後のテーマとして、徐々にやっていくのは良いかもしれないが、まずは地元の京都から攻めていくのが一番であろうと思った。
現在、私が現在調べているのは京都府下の寺社紋があくまでも中心である。

寺紋を調べるにしても分からない所は連絡先があると電話で聞いてみたり、実際にお伺いして聞いてみたり。
神社についても同じである。
調査を行っていくと大変なのは無人の神社。
実際に訪れて、神紋が瓦などに見られれば良いが、そうでないことが多い。
隈無く探してみるが見つからないことは多々ある。
無人神社の多くは別の神社が兼務しているケースがあるため、そちらに伺って聞くことも可能なこともある。
しかし町中の無人神社の場合はどこが管理しているか、よく分からないことも多い。
個人で管理しておられる場合や店(会社など)が管理しているケース、町の管理のケースや自治体の管理のケースなど様々である。

実際、非常に困ったのが松原道祖神社の神紋である。
インターネットで祭事の様子の写真が見られたが、その幕には「左三つ巴」があった。
巴紋は「神社=巴」とされることもあるので、本当にそれが神紋であるかどうか疑わしいと思った。(もしかしたら無いかもしれないと事前に情報は得ていた)
様々な方法でようやく知ることが出来たが、私のイヤな予感は的中で、
「松原道祖神社の神紋は不明。無い可能性がある。祭事で使われた巴は神社だから巴のような感覚で入れたものであり、特別な意味も無い。左三つ巴、右三つ巴と違って入れていることもあるが、これにも意味は無い」
このような事実があった。

そして非常に困ったのが宗紋。宗紋のまとめのようなものがどうやら存在していない。
例えば装束店などではそのような資料があるのだろうが、一般の人間が一覧に触れることはほぼない。
ネットで調べてみてもイマイチよく分からないケースもある。
宗紋は必ずしも一つではなく、寺によっても使用状況が違うのである。

本能寺にお伺いし、寺紋について伺った時のことである。
私が家紋研究家であることを告げ、寺紋のことや宗紋のことを伺い、
「いつか宗紋や寺紋、神紋などをまとめた本を作りたいんです」
と伝えると、
「是非、作って頂きたいです!我々も欲しい」
そう仰った。
他宗派の紋を知らない方も多いとのことで、そのような本があると非常に便利だと言うのだ。

私が今一番やりたいこと。それは寺社紋を網羅した本を書くこと。
全ての寺社紋を網羅したものが理想であるが、まずは京都に絞った「京都寺社紋」の本を書きたい、そう思っている。
これは家紋の研究にもちろん繋がることである。
いつになるかは分からないが、数年内にはなんとか出したいものだ。
理想は出版社から出すことだが、自費出版しか手はなさそうだ。
さて、どうなることやら。

下記画像は私が描き下ろした寺社紋の一部である。(神紋、宗紋、寺紋が混同された状態ではありますが)
京都府下寺社紋小
2014-07-15

【祇園祭】八坂神社の御神紋はキュウリではない【マクワウリ】

八坂神社の御神紋は「五瓜に唐花(ごかにからはな)」と「左三つ巴(ひだりみっつともえ)」である。

五瓜に唐花

五瓜に唐花紋は別名「木瓜(もっこう)」ともいう。
ただし、五瓜は五弁だが、四弁になると「木瓜」と名称を変える。
織田信長の家紋としても有名な五瓜に唐花紋は織田木瓜(おだもっこう)とも呼ばれている。

現在もこの紋については謎とされており、明確な答えが出ていない紋の一つである。
私がこの紋の謎を追い始めて四年、五年は経っているのではないだろうか。
御簾の帽額(みすのもこう)に描かれた文様が発祥とされている五瓜に唐花紋は「窠(か)」(穴冠に果文字)と呼ばれる。
窠とは地上に作られる鳥の巣のことで、かつては木に作られるものを「巣」と呼び、地上に作られるものを「窠」と呼んだという。
この「窠を象ったもの」ともいわれるが、非常に怪しい。
初めて使ったのが徳大寺家とされる。

この紋について、今までに幾度となく、原稿を書き直した。
『歴史読本』に載せる原稿として当初は執筆していたのだが、結局まとまることなく、連載は終了してしまった。
このブログに載せる事柄はこの紋に関する極一部の情報である。
今後も、この紋の真相を追い続ける所存だ。

八坂神社の御神紋はキュウリではない
少なくともこれは間違い無いだろう。
様々な話が入り交じって出来た俗説である。
かなり乱雑ではあるが、次に四項目に分けて書いてみた。
今後もまだ見ぬ文献などや話で私の考えはどんどん変わると思うが、現在の私の考えを書いてみた。


キュウリではなくマクワウリ

この五瓜に唐花紋がキュウリの断面に似ていることから、八坂神社の氏子や祇園祭の山鉾町の人びとは祇園祭の期間である七月はキュウリを食べないという。
この話から、五瓜に唐花紋は「胡瓜の断面を象った紋」と言われることがある。
しかしこれは明らかに間違いである。あくまでも「胡瓜の断面に似ている」とされているだけである。
五瓜に唐花紋は祀神である、スサノオ及び、かつての祀神である牛頭天王を表す紋。
このことに違いはないが、何故この紋が選ばれたのかは謎である。

そもそも神社が紋を使い始めた時期も不明だ。
「洛中洛外図」で現存する最古のものは『歴博甲本』(1525年頃。室町時代)。
これを見るとすでに山鉾には五瓜に唐花がついていることから、少なくともこの頃にはすでに八坂神社は五瓜に唐花紋を使用していたのだろう。
また、商家には屋号も見られる。
すでに室町時代には日常的に紋が見られるような時代であったことは間違い無いだろう。

さて、五瓜に唐花は御簾にある模様が紋章化した紋であるとされている。
これが事実であれば、胡瓜を象った、というのは間違い無くデタラメだ。
そもそも「五瓜に唐花紋は胡瓜の断面に全く似ていない」。
私が「胡瓜の断面」の話を知った時、「似てないのになんで似てるとか言ってるのだろう?」と不思議でならなかった。

結論を先に書くが、私の導き出した答えは、
牛頭天王と密接な関係にある瓜、すなわちマクワウリ(真桑瓜・甜瓜)と「胡瓜の断面が徳川家の葵紋に似ることから、胡瓜を食べない」という話が入り交じって混同されてしまったのではないか?
ということである。
どちらかと言えば、胡瓜の断面は五瓜に唐花紋よりも徳川の三つ葵紋に似ているように思う。


江戸時代、胡瓜は食べられていた(ただし美食家曰く、不味い)

7/2に染色補正森本で行ったイベント「家紋と京都の四方山話」の中でお話したことの一つが7/4に京都新聞に掲載された。
WEB版『京都新聞』はこちらから
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20140707000020

不細工なおっさんが写っているので非常にお見苦しく申し訳ない。
さて、この記事に書かれたことは実は正確ではない。

「江戸時代に胡瓜は食べられていない」
そんなことはない。食べられていた。
胡瓜は奈良時代~飛鳥時代の頃に大陸から渡来している。
「胡」はペルシャのことであり、胡人というと「ペルシャ系ソグド人」を指す言葉である。
ソグド人はもちろんペルシャ人のことである。因みにペルシャは現在のイラン。
ペルシャから直接シルクロードを通ってやってきたのか?
それとも半島辺りに定着した瓜が渡来してきたのか?
そこまでは分からない。
いずれにしても胡瓜は古くから日本に根付いていた。もちろん食用としてである。

徳川光圀は「毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず」
貝原益軒は「これ瓜類の下品なり。味良からず、かつ小毒あり」

胡瓜についてこんなにも不味いと言っている。
しかし、庶民にとっては無くてはならない食材であったに違い無い。
不味くて食べられないものであるのならば、現代まで栽培されることはなく、廃れてしまっているだろう。
因みに胡瓜が現在のように美味しく品種改良されたのは幕末の頃であるという。
「不味い」と言っている人たちは位の高い人間であり、美食家であるから、イコール食べていないにはならない。

また、先にも書いたとおり、
「胡瓜の断面が徳川家の葵紋に似ることから、胡瓜を食べない」
とも言われたそうであるから、この話も関わりがあるかもしれない。
「徳川を喰うな」
そう言っているようにも捉えることが出来なくもないが、そうであるとするならば、自虐的過ぎる。


マクワウリから胡瓜に変わった

これは間違い無いだろう。
牛頭天王に関わる話ではその多くが「瓜」である。
この瓜は「マクワウリ」のことであるが、マクワウリの断面を見ても特に五瓜に唐花と似ることはない。
因みに瓜系で最も五瓜に唐花に似るのは「パパイヤ」である。
パパイヤは漢字で書くと「番木瓜」と書く。
「木になる番い(つがい)の瓜」である。これを輪切りにすると五角形であり、五瓜に唐花紋と酷似する。
さらに中国では「木瓜」とは「花梨(カリン)」のことであり、「モークワ」と発音され、台湾では「ボッコエ」と発音される。
これが日本に伝来の際、モッケやボッカなどに訛ったようだ。
少し話が逸れるが、
古い紋帖などを見ると瓜(か)紋は旧字表記で「クヮ」と読みが書かれている。
後世「クヮ=カ」と直されたが、実は文字通りの「クワ」という表記が正しく、瓜(カ)ではなく、瓜(クワ)だった、という可能性もあるかもしれない、と最近思ったりもする。
もしそうであるとすると、五瓜に唐花紋の五瓜とは文字通りの瓜の可能性があるのではないだろうか。
極希だが、古い紋帖では「五瓜(ごか)」を「五瓜(ごうり)」としている表記があるのも事実である。

そもそも私は「何かの断面」という解釈ではない、と思っている。
しかし仮に断面説を肯定するのであれば、
パパイヤの断面図であり、日本では定着していなかったパパイヤの変わりに最も普及していた瓜であったマクワウリが選ばれた。
そう解釈も出来るのではないだろうか。


八坂神社

では、最後は簡単に八坂神社の歴史について書いておく。(facebookに投稿したものをそのまま引用)

八坂創建以前、八坂郷には八坂造(やさかのみやつこ)と名乗った渡来系の人びと(出雲系の可能性もアリ。八坂神社には方墳がある。方墳は出雲族の古墳)が住んでいた。
八坂には底が深い池があり、水の豊富な地域であった。
八坂造はこの池に龍神を祀ったという。
池周辺では瓜(マクワウリ)を栽培し、龍神に奉納していた。

八坂神社は高句麗の伊利之使主(いりのしおみ)が656年に創建。
ただし、この頃の名称は不明。
伊利之使主は創建と共に八坂造を名乗るようになった。
この時に祀ったと思われるのが頗梨采女(はりさいにょ)である。
元より、祀っていた龍神と集合した可能性が高く、頗梨采女が神泉苑の善女竜王と同一視されるのはこのことが原因と思われる。
876年に僧である円如が播磨国広峯に祀られる牛頭天王を分霊し、観慶寺という寺となる。この寺が祇園寺と呼ばれるようになったが、これは牛頭天王が祇園精舎の守護神といわれるためである。
926年に僧(不明)が祇園天神堂を建立。この天神堂が現在の八坂神社の原形。
さらに934年には祇園感神院を建立することとなる。

いつからどのタイミングで、牛頭天王とマクワウリが関係を持つのかは不明。
逃げてきた牛頭天王がマクワウリ畑に隠れたことで難を逃れ、栽培していた村人に「瓜のお陰で助かったから、瓜を珍重するように」というような内容を牛頭天王が言ったという。
この話が牛頭天王とマクワウリを結んだ話のきっかけかもしれない。

因みに牛頭天王は新羅から瀬戸内より備後国、つまり現在の広島県福山市に渡来している。
現在の福山市の素盞嗚神社がこそが日本で最初に牛頭天王を祀ったとされる場所だ。
因みにこの神社が茅の輪の発祥の地といわれる。
この後に播摩に勧請。
その後、播摩の牛頭天王は京都の八坂郷の瓜生山に降臨したとされる。
2014-02-10

【家紋の調べ方】家紋がわからない!知らない! 

Twitterから始まった現代家紋
この影響は大きく、家紋そのものも見直されはじめ、今や家紋ブームと言っても過言ではない状況となっている。
基本的に日本人であれば誰でも家紋はあるはずである。
極希に本当にない、というお家もあるが、大半の方々のお家にはある。

家紋を知らない家紋が分からない
そんな方が今のこの時代不自然ではなくなってきてしまった。
これは家紋研究家と名乗っている私からすると悲しいことである。
現代家紋で家紋に興味を持った方は是非ご自分の家の紋をこの機会に知って頂きたいと思う。

さて、今回は簡単に家紋を探す方法をご紹介しておく。

家紋の調べ方
1.肉親、親族などにまず聞く
2.家に家紋が入ったものが無いか探す
3.お墓に行く。(お墓に家紋が彫られているケースが多い
4.それでも無い場合は専門家に相談(有料のケースが多いです)

※「2」の補足:家紋が入った何かがあれば、その何かの全体像と家紋のアップを撮影しておきましょう。家紋のアップはブレたり、ボケないないよう注意しましょう。
※「3」の補足:家紋が入っていれば写真を撮りましょう。(見づらい場合は様々な角度から写真を撮りましょう)
※「4」の補足:「3」で分からなかった時、家の墓のある墓地に自分と同じ名字のお墓があるか探してみましょう。
もしかすると同族の可能性がありますから、家紋も同じ、もしくは同じモチーフの可能性があります。
あくまでも可能性にしか過ぎませんが、相談する際の良い資料になるでしょう。


家紋を撮影する際の諸注意
「家紋の調べ方」の「3」で家紋があった場合、お墓を撮影してください。
ガラケーやスマフォでもOKです。

 1.お墓全体の写真を撮る:これは名字と家紋を同時に写しておくということです。(名字が正面に無い場合は名字が入っている箇所を探してその部分も撮影しておくことが望ましいです)
 2.家紋のアップを撮る:複雑な家紋の場合は拡大して良く観察しないと分からないことも多いです。

次の写真のような感じで2枚撮れていればOKです。(写真は筆者の家の墓です)

墓の全体像
墓の全体像の撮影の一例

家紋のアップ
家紋のアップの一例


※家紋の撮影をしてもよく分からない場合:理想は拓本を採ることですが、なかなか難しいでしょう。可能であればやってみると良いかもしれません。
拓本をする際は乾拓と呼ばれる方法でやるのが一番手っ取り早いです。
拓本墨を購入してみるのが良いでしょう。↓こんな感じです。
http://www.syoyu-e.com/item/takuhon/kantaku.htm
墓をまず綺麗しましょう。
水滴や水分が残らないよう綺麗に拭いて下さい。
古い墓で脆い場合は注意してください。(この場合拓本も諦めることも視野に)
半紙を予め用意しておき、お墓の家紋の部分に半紙をおいて、上から拓本墨を擦っていきます。
余り力を入れず、全体的に円を描くようにゆっくり動かすのコツです。
ただし、石の材質によってはやりづらい場合もありますので、何度かトライする気持ちでやりましょう。


今回は以上です。
2014-02-07

今、家紋ブームが来ている 現代家紋とは?

今現在、「家紋」がにわかなブームになっているようだ。
家紋研究家、家紋伝道師を名乗っている私にとって非常に喜ばしいことである。


歴史ブーム
ここ数年、歴史ブームである。
戦国武将、幕末志士。
昨年は伊勢神宮、出雲大社の式年遷宮が重なったこともあって、『古事記』『日本書紀』などの記紀神話がブームであり、八百万の神々もフューチャーされている。
それに関連するように古代豪族もまたブームも一つである。
これらの影響、特に戦国武将の影響で「家紋」についての認知がここ数年深まっている。


Twitterにおける「家紋」の話題が近年増えている
私はここ数年、Twitterで不定期ではあるが「家紋」のキーワードで検索している。
数年前まではこれといって家紋で引っかかるツイートは非常に少なかった。
あっても家紋グッズを販売する業者や家紋に関わる業者のツイート程度。
家紋の話題が上がっていても「戦国武将○○の家紋は○○」といった程度のものばかり。

しかしここ最近(2年内くらい?)、徐々「家紋」を含むツイートが急
増しているのである。
今までは「戦国武将」などから付随する形でのツイートが主だったのに対し、近年は「家紋」そのものが話題に上がっていることが増えてきているのだ。

「墓石に入れる家紋を自分で決めたけどこれで良かったのか?」
このような内容のツイートもあり反響を呼んでいる。
この墓石に入れられた家紋は「丸に三つ鱗」紋であった。


余談:三つ鱗紋とトライフォース
この形状はTVゲームの任天堂の名作シリーズである「ゼルダの伝説」にトライフォースという名で登場する紋章である。
※詳しくはwikipediaのトライフォースの頁を読んで下さい。

これはあくまでも「三つ鱗」という家紋にヒント得て用いられた紋章のため、家紋の三つ鱗とも関係なければ、北條(北条)氏とも何の関係もありません。
因みに北条氏の家紋として用いられる三つ鱗紋は「北条鱗」という紋名で紋帖や家紋事典、家紋図鑑などでも掲載されている。
もちろん著書『日本の家紋大事典』にも掲載している。
鱗紋の基本形はこの三つ鱗であり、北条氏の鱗紋は少々ひしゃげた印象のものである。


鱗紋とは何か?
そもそも「鱗紋が何か?」ということだが、これは先日染色補正森本公式サイト内の「家紋研究」に「雨乞い象徴紋 成長の瑞龍「雨龍」」というタイトルで「雨龍紋」について書かせて頂いたがこの鱗紋のころも少し触れている。

鱗紋は定説では「龍、もしくは蛇の鱗を意匠化したもの」といわれる。
また、奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)の山である三輪山(みわやま)を象ったものではないか?という説も存在する。
元々は家紋としてではなく、文様として用いられていたもので、実は古代から存在している。
古代遺跡の壁画などにもこの三つ鱗のようなものが描かれているものがある。
これが鱗紋の発祥かもしれないが、家紋の鱗紋との関係性は明らかではない。

mittuuroko.jpg
三つ鱗

houjouuroko.jpg
北条家鱗


ももいろクローバーZ
話が逸れてしまったが、他も今の家紋のブームの火付け役になっているものがある。
それは「週末ヒロイン ももいろクローバーZ(以下ももクロ)」である。
ももクロのロゴに四つの桃をあしらったものがある。
これが通称「ももクロ家紋」と呼ばれ、若い世代にも人気であり、「家紋」という名称が認知されるきっかけの一つにもなっているようだ。

momokuro.png
ももクロ家紋


雑誌による家紋の特集
また、昨年の11月頃に発売された「歴史人」の存在も大きいだろう。
『歴史人』2013年3月号「戦国武将の家紋の真実」。
『一個人』2014年12月号「日本の名字と家紋の謎」。
この二つは売れ行きがかなり好評で、いずれも即完売したようだ。
さらにこの二冊は再版までされている。
いずれも「家紋シール」のオマケ付きであり、家紋好きにはたまらない。


「#現代家紋」と家紋の簡単な歴史
そして今日(2/7)知ったのだが、Twitterで「#現代家紋」というハッシュで、様々なオリジナルの紋が投稿されていたのである。
それは「見たことあるあのマークを家紋に 「#現代家紋」http://togetter.com/li/626232などでまとめられている。
私がこれについて多く語る必要はない。
まずはリンク先をご覧頂きたい。

多くが「ロゴのような」ものでしかないが、いくつかは紋を理解して作成されている方もおられるようで、なかなか興味深いものもある。
家紋の発祥は平安後期の御所車(牛車)に付けられた紋章、今で言うナンバープレートのようなものから始まる。
これを「車紋(くるまもん)」という。
この車紋はやがて、個人の紋章となり、継承される特性を持つようになる。
そしてこれは公家全体に広がり、貴族階級に広がっていく。
さらに武家に広がりをみせ、江戸時代の頃には庶民にまで浸透していく。
紋の意匠の基本は江戸時代の初期頃には完全に確立される。
紋章上絵師の登場がこの頃である。今でいう、紋章上絵師はかつては「紋師」などと呼ばれ、紋そのものをデザインすることも多かった。
今で言うロゴデザイナーのようなものであろうか。
また、紋師だけではなく、絵師によるデザインも多かったようである。
江戸時代に「割付」という紋を描くルールが生まれた。
これは「ルールさえ分かっていれば、日本全国どこでも同じ紋が描ける」ということに繋がっていくためである。
つまり紋を描く需要が一気に高まったことを示している。
紋の形は江戸時代に最も発展したといえる。
この江戸時代に完成された紋は様々な形(実際に施された物や文献など)で現代に伝わってきているのである。

家紋は長い年月をかけて完成されたもの。
その素晴らしいデザインは現代でも色あせることがない。
しかしこの紋も江戸時代にすでにパロディー化されているのである。

江戸時代の文献に『新選紋所帳』(天保四年/1833年)という文献がある。
作者は山東京伝とされるもの。
これは当時の風刺などを紋の形状でパロディー化したものである。
この感覚に非常に近いものだと思った。


家紋とは何か
私は冒頭でも少し書いたが、これは非常に喜ばしいことだと考えている。
「家紋とはなにか?」
基本的な家紋の概念とは全く性質の違うものであるが、家紋に対して興味を持って頂けること自体、素晴らしいこと。
家紋とは読んで字の如く「家の紋」のことである。
厳密にいえば、「自分だけの紋」は家紋とはいわない。
「家の象徴の印」それがあくまでも家紋の定義であり、さらに「継承される」という特性がなければ、家紋としては成立しない。
堅っ苦しい言い方をすればこのハッシュタグである「現代家紋」という言い方は間違っている。
とはいえ、現代人は「家紋」というものを知らない方が非常に多い。
「家紋」が必要なくなった時代になってもう長い訳だから、致し方ないのかもしれない。
しかし家紋の歴史は千年という長い期間継承されてきている。
元々は文様だったものが一点の紋というデザインに集約され、デザインだけではなく、意味や意義を混め、継承していくもの、それが家紋。

今回取り上げた「現代家紋」で紋を楽しむのいい。むしろ大いに楽しんで欲しい。
でも、これをきっかけに自分の家の紋を知らない人はこれをきっかけに知って欲しいです。
そして次の世代に繋げて欲しいです。
これが私の願いです。




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日本の家紋大事典
プロフィール

森本勇矢

Author:森本勇矢


京都市在住。38歳。
本業である染色補正の傍ら家紋研究家として活動する。
京都家紋研究会会長。日本家紋研究会理事。
月刊『歴史読本』への寄稿をする他、新聞掲載・TV出演など。
著書『日本の家紋大辞典』(日本実業出版社)
家紋制作、家系調査などのお仕事お待ちしております。

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