『女紋』出版の経緯 其の五 ~小冊子編2~

『女紋』出版の経緯 其の四 ~小冊子編1~よりの続き。



一度作り上げたものを再構築する。
このような作業は非常に骨が折れるものだ。
それまでの女紋では「発生、継承、デザイン」と大きく分類し、さらにこれを細分化するような形式であった。

これは近藤雅樹氏著書『おんな紋 血縁の フォークロア』に基づいた考え方。
この考え方を否定するつもりは全くないが、これをそのまま使うのは単なる二番煎じでしかない。
親父の出した研究の結果を示すにはこの土台を一度崩す必要性があると思った。
そもそも親父は「分類、分類」とそこに囚われすぎていて、
「女紋を知らない人」「家紋すら意味がよく分かっていない人」
このような方々に理解して貰うための「わかりやすさ」が抜け落ちていた。
一つの分野に没頭してしまうとこのような危険性が出てくる。
全てが主観になってしまうのは危険なことだ。
客観的な見方は当然必要であり、そのためには「はじめてその分野に触れる方」も重要視しなくてはならない。

「ここをこんな感じにして」
「こんな風に変えたらどうか?」
など、それまでの「家紋研究」や現在では『歴史読本』への原稿に私が注文をすることは少なくない。
その度親父は原稿を書き直したり、また新たに書いたりするわけだが、意外と私が勝手に変更する事も多い。

女紋における「6つの習慣とその継承」もその典型的なものである。
以前の大きなリニューアルで分類を3つに分けた。
さらにこれらは分類される訳だが、これではあまりにも分かり辛い。
無理矢理の分類することに何の意味あるのであろう? それに疑問を感じていた。
そこで私は分類ではなく、それら全てが習慣なのだから習慣別に分けてはどうか? 
と考え方を変えることにしたのだ。
それが「6つの習慣とその継承」である。
これは以前の「発生、継承、デザイン」を織り交ぜたものだ。
母系紋や替え紋は言うまでもなく、女紋という習慣だ。
その習慣の形が違うだけの話。
それに名称を付けること自体「混乱」してしまうのでは? 
と言うのが本音ではあるが、文章にする場合はまた違うのかも知れない。

私的には未だに馴染めないのが「アレンジ紋」という表現だ。
これに変わる良い言葉はないだろうか・・・。



つづく

ARK@遊鵺
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『女紋』出版の経緯 其の四 ~小冊子編1~

『女紋』出版の経緯 其の三よりの続き。


とある日のこと。
サイトの訪問者数を示すカウンター(実際はプレビュー数)がわずか一晩で3000以上?も増えていた。
これはどういう事なのか?
メールチェックをするとYahoo!からメールが来ていて、「サイトを登録しました」という報告だった。
すっかり登録申請したことを忘れていたのでそれはもうびっくり。
早速調べてみると、確かに登録されており、Yahoo!サーファー(社員)のオススメサイトとして紹介されていた。
さらにマイヤフー(ユーザー登録している者の専用ページ)に、「新着サイト」として紹介されていた。

結果、掲示板への書き込みは増え、メールでの問い合わせ、さらには電話での問い合わせが増えた。
これが新たな情報得る機会となり、全国の女紋の情報が当社に集まってきたのである。


さて、いよいよ自費出版へ向けてのお話になっていきます。


「この女紋のページを小冊子のようなものにしないか?」
という私の意見をきっかけに書籍『女紋』はスタートした。
「それは大変なことだぞ?」と始めは少々渋っていたようだが、
「ここまで作ったのだから、WEBだけで終わらせるのは勿体ない」
という私の一言でその考えは決まったようであった。

小冊子にするというからにはそれなりに「見える」ようにしなければならない。
あくまでも自社内で製作をするということを前提にした挑戦だった。
小冊子とはいえ、「本」に変わりない。製本に関して無知の状況からのスタートは非常に難易度の高いものであった。
DTPのいろはも何も分からない。
あくまでお手製なのでワープロソフトでの作成となった。(この時は一太郎を使用)

まずは女紋のページの文章全てを一太郎へコピペ。
WEB上ではその特性上、横書きが主流であるが、小冊子ではやはり縦書きがベストと考えた。
縦書きの文章に変更していくと、いろいろ見えてくる。
誤字、脱字などはもちろんの事、妙な言い回しがあったりと様々なミスが見つかってきた。
なるほど、角度を変えるとこういった事まで見えてくるのか、と面倒な反面ありがたいこともある。
基本的な作業は文章をいじることではあるが、画像がネックの一つであった。
画像のサイズ(解像度を含む)の調整。
印刷物にするとなるとそれなりのデータでないとダメだ。
全ての画像を作り直し。
それにともなって継承経路図も見直し。
そうしていくうちに画像を置く位置や文章の改行、余白に至るまで様々な修正を余儀なくされてくる。

これは一度見直しが必要だ。

そう判断した私は全てを練り直すことにした。


つづく


ARK@遊鵺

『女紋』出版の経緯 其の三

『女紋』出版の経緯 其の二よりの続き。


「女紋」のページを独立のページとしてリニューアルさせ、一区切りがついた頃のことだ。
家紋研究で一つの項目が完成するたびに親父が「プリントしてくれ」といつもいう。
自分でプリントすりゃいいのに、と思いつつ、A4用紙にプリントしたものをホッチキスでとめて渡す。
プリントする機会が多いので、スタイルシートでプリント用のレイアウトも出力出来るようにはしていた。(つもり)

女紋のページもそんな感じでプリントした。ただ、ページが多いのでかなりの量になってしまった。
枚数にすると30枚は越えていただろうか?
家紋研究の頃からそうだが、親父はプリントしたものを必ずコピーで何部かストックしていた。
(要するに○部分プリントしてくれと言われる)
それは得意先に時折「こんなの書いたんで読んでみてください」と渡したりするためにとのことである
「女紋」のプリントも同じように何部か作って、得意先に配ろうと思っていたようで私はそれを止めた。
「さすがにそれだけの量を貰う身にもなった方がいい。A4みたいなでかいプリントを大量に貰っても読みづらいし、保管もしづらいし、迷惑やろ?」
私の意見はこうだった。
「女紋をもっと分かって欲しいんや」
親父の言い分はもっともだが、さすがにA4用紙を束ねたものを渡すのは失礼に当たると思う。
そこで私は考え、言った。
「A4はでかすぎる。半分に折ればA5だし、それを束ねて「小冊子」にすれば渡しやすいやろ?」
親父もこれには納得したようで、それでいこうということになった。

これが後に書籍『女紋』へとなっていく。


ちなみに「女紋」のページが独立したことを期に「女紋」のページをYahoo!JAPANに登録することにした。
当時は今のYahoo!JAPANのようなロボット検索型ではなく、登録型(現在もありますが)がメインだったので、Yahoo!に登録されるかされないかで、かなりアクセスに差が出たものだ。(ちなみにこのときすでに大宮華紋森本のサイトは登録されていた)


つづく


ARK@遊鵺

『女紋』出版の経緯 其の二

『女紋』出版の経緯 其の一よりの続き。



家紋研究のページも少しずつ増え始めてきた時のこと。

「最近、女紋の質問を増えてきてるし、家紋研究のページにちょっと入れてくれへんか?」
という、親父の要望もあり、「伝達間違い」に女紋を追加することになりました。
当初は「女紋とはこのようなものである」程度に過ぎなかったが、徐々に親父が女紋についての調査をすることが増え、それに伴い、修正や追加をする羽目となった。
まぁ、ぶっちゃけ何度もやり直すこっちからすれば、かなり面倒だったわけだが・・・。
理由として色々あるが、「家紋研究のデザインが定まらず、作り替えをよくしていた」「修正の頻度が多すぎる」などで作成する側からすれば「またかよ?」の繰り返しで苛立ちは増えた。

しかしその結果が功をとなったのか、この頃から少しずつではあるが、サーチエンジンで「女紋」を検索すると、当社サイトが一番に引っかかるようになってきた。
この頃はまだまだ家紋に関するサイトも今ほど多くなく、「女紋」に関する情報を詳しく載せているサイトも極端に少なかったためでもあるだろう。
ネット上の様々なサイトや掲示板、ブログなどでも時折「女紋」の話しが出たりするが、地域性の高い、いわば方言のような習慣のことなので、「話しがかみ合わない」「間違った知識」「思い込み」などのせいで混乱している様子であった。
当サイトで情報を発信し出してから、そのお陰で「女紋」に関する質問が、掲示板への書き込みやメール、お電話までも頂くようになってきた。
その結果「伝達間違い」のページから切り離し、家紋研究内の項目の一つとして昇格させた。

気づけばサイト内の情報量はかなりのものになってきた。
先ほども言ったとおり、「女紋」は習慣による違いがある。
元々の職種柄、女紋の情報はある程度あったわけですが、いざ、日本各地の消費者様からの情報のふたを開けてみると、それは実に様々なものだった。
それらを整理し、少しずつまとめたものを随時追加や修正を行う作業がメインとなっていた。
気づけばその情報量が家紋研究の枠では収まりきれないほどになってきたのである。
考えた末、家紋研究から切り離し、「女紋」を独立させることにした。

そしてこれが大きな転機となるのだった。


つづく


ARK@遊鵺

『女紋』出版の経緯 其の一

今回は少し趣旨から逸れて、書籍『女紋』を自費出版することになった経緯と自費出版について綴っていきます。
元々webサイト「大宮華紋森本」内でエッセイ的にアップしようと思っていたものを掘り起こしたものです。




「織田信長が家臣に串団子を見せ「このように敵の首をとってこい」と言ったんです。
そしてその家臣はそれを見事成し遂げ、それの褒美として、信長が『串団子の紋』を与えたんです。
それが『団子紋』の始まりなんですよ」

数年前のとある日のこと。
消費者のお客様がお見えになり、親父(景一)がその方を休憩室へ招いた。
私も同席してその話しを聞いていた。
当時の私はまだ「家紋」の知識はほぼ皆無に等しく、せいぜい同年代の人よりちょっと知ってる程度。

様々な話しの中で、家紋の話となり、冒頭に書いた話を親父がお客様に話した。
戦国武将の中でも織田信長が好きだった私はその話しに興味を持った。
ん? これは使えるかもしれない。
何が「使えるのか?」というと、当時はまだまだサイトのデータが不十分で、日々ネタを探していました。
この頃、まだ「家紋研究」のページはまだ存在せず、「加賀紋」の前身となったページだけがあっただけです。
その話しを聞いた私は居ても立ってもいられなくなり、お客様がいるのにも関わらず、親父に言いました。

「親父…それ面白いぞ? その話を他の紋の話しとか一緒にまとめて親父の『家紋研究』として、サイトでアップしよう。他にも家紋のこぼれ話的なものはどんどんアップしていった方がいい」
このような私の一言から「家紋研究」のページはスタートしたのでした。

そしてこの出来事が後に書籍となることとなり、私を家紋研究家としての出発点となったのです。


つづく。




ちょっと今までのブログの内容とは異なるものですし、面白くないとは思いますが、後何話か続きます。すみません。

ARK@遊鵺
プロフィール

森本勇矢

Author:森本勇矢
京都市在住。41歳。
本業である染色補正の傍ら家紋研究家として活動する。
一般社団法人京都家紋協会代表。
京都家紋研究会会長。
日本家紋研究会副会長。
月刊『歴史読本』への寄稿をする他、新聞掲載・TV出演など。
著書『日本の家紋大辞典』(日本実業出版社)
家紋制作、家系調査などのお仕事お待ちしております。
ご連絡はFacebook、Twitter、Instagramなどからお願いします。

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