シンプル
私が家紋を身近に感じるが、それは呉服関連を生業とする家に生まれたことにもあると思う。
より身近に感じることになるのは家業を手伝うようになってからだ。
当初は父の手伝いとして始めた家紋に関する調べ物であったが、それは徐々に私の中で大きなものへと発展したようだ。
本格的に家紋について研究を始めるようになったのは現在執筆中の本を書くにあたってのことである。
お話を頂いてもう気づけば2年近くもなるのではないだろうか。(様々な諸事情により遅れてはいるが)
つまり私の家紋に対する研究はまだ日が浅いものであり、諸先輩方から見るとまだまだ知識は浅い。
家紋の研究は姓氏の研究にも繋がり、それは歴史をも研究するということとなる。
残念ながら私は歴史への知識も非常に浅く、教科書で学んだもの程度のものだ。
ゆえに歴史を見ての考察は非常に苦手である。
かといって、猛勉強するわけでもなく、必要に応じて調べるようにしている。
家紋は様々な理由から発祥している。
発祥の理由が明確なものもあれば現在もなお謎のままであるものも多い。
例えば、織田信長で有名な「織田木瓜」は紋帖では「瓜(か)」と分類され、木瓜(もっこう)紋とは区別されている。
区別される理由も明確ではなく、意匠の形状によるものであると推測はされるがその真意は不明だ。
では「瓜(か)」と「木瓜」とはなんぞや? といわれるとこれも明確ではない。
全てが俗説であり、その答えは現在もなお不明なのだ。
この紋についてはまた後日改めてエントリーしようと思う。
このように有名で使用諸氏も多い紋でも謎は多い。
【直違紋】
さて、長々となってしまったが、今回の主人公となる紋は「直違(すじかい」紋だ。

直違、丹羽直違
ご覧の通りの紋で「X形」で実にシンプルなものである。
この紋で有名なのは戦国武将の丹羽長秀であろう。
この直違いとは、筋違(すじかい)とも書き、建築に用いる補強材のことで柱と柱の間を斜めに入れるもののことである。
この紋は別名では違い棒、二本箸打ち違いとも言われる。
紋帖では主に「木紋」として「算木紋(さんぎ:昔の計算機みたいなもの」と一緒に掲載されている事が多い。
丹羽氏がこの紋の使用を始めたのは丹羽長秀からであると言われ、次のような逸話がある。
■丹羽長秀が戦の最中に血の付いた刀を拭った際、×の字のように形がつき、それを見た豊臣秀吉がそれを紋とせよと命じたという。
■丹羽長秀の馬印は竹の枝に金の短尺を16枚下げたもので「えづる竹に金の短尺」といい、合戦の後馬印を見ると奮戦のため、短尺が散って二枚だけになってしまった短尺が×の字に残っていたためそれを紋とした。
真意は兎も角としてこのようにして丹羽氏は直違を紋としたようだ。
っと、ここまでは通説である。
他にも説はあるのだ。
この「×形」の紋はそもそも補強材としての直違いではなく、
「食事に用いる箸」
「門前に組む死者封じの竹であり呪符を象ったもの」
「九字紋からの転化」
などと考察もされている。つまり発生・意義ともに諸説あるため現在も尚謎の紋なのだ。
発祥時期がある程度分かればその答えに近づくことは可能かもしれない。
タイトルの通り、直違紋は実にシンプルである。
そのシンプルさに私は力強さを感じる。
シンプルさゆえの存在感。

先日、墓地探索していたときに直違紋を見た。
苗字は丹羽ではなかったが、この紋を見たときに私は震えるものを感じた。
何故震えたのかは分からないが、その存在感に圧倒されたのだろう。
多くの墓石を見ていると、近代のものは機械彫りがやはり多いため、非常に綺麗だ。古いものほど荒くなる。
そして複雑なものほど近寄らないと形状も分からないものが多い。
しかしこの紋は違う。
離れたところからでもそれが何なのか一目瞭然なのだ。
これは戦国時代を思い起こさせる。はためく幟に大きく描かれた旗印。
シンプルであるがゆえに連想出来たことなのだろう。
家紋を研究していて、最近思うようになったのは「家紋とは非常にシンプルなものではないだろうか?」ということだ。
発生には様々な理由はあるが、それらが現代で不明、謎、となるのは単純に資料不足のためだけだ。
ミッシングリンクということ。
後世のものが色々と複雑に考察するのはもちろんだろうが、その答えは実にシンプルなのではないか、と私は思うのだ。
「裏があるのでは?」
と考察するのは非常に面白い。
しかし家紋の本来の意味を考えると、そこまで意味を隠す必要性があるのだろうかと疑問も出る。
もちろん中にはそのようなものもあるかも知れないが・・・。
直違紋は前述したように様々な諸説がある。
仮に始めて直違紋は使用したのが丹羽氏であるとすれば、その発生は伝説のどちらなのかも知れない可能性があり、それは単なる偶然で出来た意匠でしかないわけだ。
そうなると、「違い棒」のような紋名の方が正しいのではないだろうかとも思えてくる。
深い考察は必要あると考えるが、それが正しいとは限らない。
私を含めた研究者はすでに出来上がっている基盤が存在しているため、客観視しづらい部分があるに思う。
私の友人に家紋についてあれこれ語ると、こちらの想像しないような質問や意見を言ってくる。
明らかに「違う」と思うこともあるのだが、素人らしい率直な意見が逆に参考になることもあるのだ。
シンプルに考える。
これも一つの方法なのだと私は信じたい。
シンプルとか言いながらシンプルに文章に出来なくて申し訳ありません。
ARK@遊鵺
より身近に感じることになるのは家業を手伝うようになってからだ。
当初は父の手伝いとして始めた家紋に関する調べ物であったが、それは徐々に私の中で大きなものへと発展したようだ。
本格的に家紋について研究を始めるようになったのは現在執筆中の本を書くにあたってのことである。
お話を頂いてもう気づけば2年近くもなるのではないだろうか。(様々な諸事情により遅れてはいるが)
つまり私の家紋に対する研究はまだ日が浅いものであり、諸先輩方から見るとまだまだ知識は浅い。
家紋の研究は姓氏の研究にも繋がり、それは歴史をも研究するということとなる。
残念ながら私は歴史への知識も非常に浅く、教科書で学んだもの程度のものだ。
ゆえに歴史を見ての考察は非常に苦手である。
かといって、猛勉強するわけでもなく、必要に応じて調べるようにしている。
家紋は様々な理由から発祥している。
発祥の理由が明確なものもあれば現在もなお謎のままであるものも多い。
例えば、織田信長で有名な「織田木瓜」は紋帖では「瓜(か)」と分類され、木瓜(もっこう)紋とは区別されている。
区別される理由も明確ではなく、意匠の形状によるものであると推測はされるがその真意は不明だ。
では「瓜(か)」と「木瓜」とはなんぞや? といわれるとこれも明確ではない。
全てが俗説であり、その答えは現在もなお不明なのだ。
この紋についてはまた後日改めてエントリーしようと思う。
このように有名で使用諸氏も多い紋でも謎は多い。
【直違紋】
さて、長々となってしまったが、今回の主人公となる紋は「直違(すじかい」紋だ。


直違、丹羽直違
ご覧の通りの紋で「X形」で実にシンプルなものである。
この紋で有名なのは戦国武将の丹羽長秀であろう。
この直違いとは、筋違(すじかい)とも書き、建築に用いる補強材のことで柱と柱の間を斜めに入れるもののことである。
この紋は別名では違い棒、二本箸打ち違いとも言われる。
紋帖では主に「木紋」として「算木紋(さんぎ:昔の計算機みたいなもの」と一緒に掲載されている事が多い。
丹羽氏がこの紋の使用を始めたのは丹羽長秀からであると言われ、次のような逸話がある。
■丹羽長秀が戦の最中に血の付いた刀を拭った際、×の字のように形がつき、それを見た豊臣秀吉がそれを紋とせよと命じたという。
■丹羽長秀の馬印は竹の枝に金の短尺を16枚下げたもので「えづる竹に金の短尺」といい、合戦の後馬印を見ると奮戦のため、短尺が散って二枚だけになってしまった短尺が×の字に残っていたためそれを紋とした。
真意は兎も角としてこのようにして丹羽氏は直違を紋としたようだ。
っと、ここまでは通説である。
他にも説はあるのだ。
この「×形」の紋はそもそも補強材としての直違いではなく、
「食事に用いる箸」
「門前に組む死者封じの竹であり呪符を象ったもの」
「九字紋からの転化」
などと考察もされている。つまり発生・意義ともに諸説あるため現在も尚謎の紋なのだ。
発祥時期がある程度分かればその答えに近づくことは可能かもしれない。
タイトルの通り、直違紋は実にシンプルである。
そのシンプルさに私は力強さを感じる。
シンプルさゆえの存在感。

先日、墓地探索していたときに直違紋を見た。
苗字は丹羽ではなかったが、この紋を見たときに私は震えるものを感じた。
何故震えたのかは分からないが、その存在感に圧倒されたのだろう。
多くの墓石を見ていると、近代のものは機械彫りがやはり多いため、非常に綺麗だ。古いものほど荒くなる。
そして複雑なものほど近寄らないと形状も分からないものが多い。
しかしこの紋は違う。
離れたところからでもそれが何なのか一目瞭然なのだ。
これは戦国時代を思い起こさせる。はためく幟に大きく描かれた旗印。
シンプルであるがゆえに連想出来たことなのだろう。
家紋を研究していて、最近思うようになったのは「家紋とは非常にシンプルなものではないだろうか?」ということだ。
発生には様々な理由はあるが、それらが現代で不明、謎、となるのは単純に資料不足のためだけだ。
ミッシングリンクということ。
後世のものが色々と複雑に考察するのはもちろんだろうが、その答えは実にシンプルなのではないか、と私は思うのだ。
「裏があるのでは?」
と考察するのは非常に面白い。
しかし家紋の本来の意味を考えると、そこまで意味を隠す必要性があるのだろうかと疑問も出る。
もちろん中にはそのようなものもあるかも知れないが・・・。
直違紋は前述したように様々な諸説がある。
仮に始めて直違紋は使用したのが丹羽氏であるとすれば、その発生は伝説のどちらなのかも知れない可能性があり、それは単なる偶然で出来た意匠でしかないわけだ。
そうなると、「違い棒」のような紋名の方が正しいのではないだろうかとも思えてくる。
深い考察は必要あると考えるが、それが正しいとは限らない。
私を含めた研究者はすでに出来上がっている基盤が存在しているため、客観視しづらい部分があるに思う。
私の友人に家紋についてあれこれ語ると、こちらの想像しないような質問や意見を言ってくる。
明らかに「違う」と思うこともあるのだが、素人らしい率直な意見が逆に参考になることもあるのだ。
シンプルに考える。
これも一つの方法なのだと私は信じたい。
シンプルとか言いながらシンプルに文章に出来なくて申し訳ありません。
ARK@遊鵺
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