真田氏、謎の家紋「月輪七九曜」を解く
日本家紋研究会では『月刊歴史読本』で連載を持っています。
私も時々書かせて頂いております。
現在発売中の『歴史読本2014年1月号』の「家紋拾遺譚~難読紋・奇紋の謎を解く73」では、私が執筆を担当しています。
「鞠鋏を家紋にした家の謎 蹴鞠の紋と蹴鞠に似た紋」と題して、鞠鋏紋について書かせて頂きました。
※サブタイトルの蹴鞠は鞠鋏の誤植です。
正しくは「鞠鋏を家紋にした家の謎 鞠鋏の紋と鞠鋏に似た紋」です。
以前にも当ブログのエントリーで鞠鋏について簡単に書かせて貰っています。
http://arkness.blog.fc2.com/blog-entry-19.html
真田氏の家紋
今回のエントリーで取り上げるのは「真田氏」の家紋です。
実はこれも以前に『歴史読本』で書かせて貰っているネタなのですが、新たに解釈しなおしてみたので、ここに記しておきたいと思います。
因みに掲載時は「家紋拾遺譚~難読紋・奇紋の謎を解く31 真田氏の家紋~人気武将の家紋・六文銭の変化」と題して、2010年に執筆しています。
寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)によると、真田家が幕府に提出した使用家紋は六連銭(ろくれんせん:図版1)、雁金(かりがね:図版2)、洲浜(すはま:図版3)の三つである。
本来の定紋は雁金である。どうやら江戸に入ってから六連銭が定紋に昇格したようだ。
この三つについては『歴史読本』に書かせて頂いたので詳細は省かせて頂く。

図版1:真田家銭(六文銭/六連銭) 図版2:結び雁金 図版3:州浜
さて、これら以外にも「割州浜(わりすはま)」「月輪七九曜(つきわしちくよう)」の使用も確認されている。
割州浜はなんとか図版は確認出来る。そこで私は図版4を制作し、著書『日本の家紋大事典』にも収録させて頂いた。(紋名は真田家割州浜とした)

図版4:真田家割洲浜
問題は「月輪七九曜」である。
これが困ったことに図案がどこにも見当たらないのである。
『歴史読本』で書かせて頂いた時は図版5や図版6のような形状が「月輪七九曜」ではないか?と答えを出していた。
しかしその後、いろいろと考えた末、違う結果に辿り付くこととなったのである。

図版5:月輪に九曜 図版6:八曜離れ星に月
月輪七九曜の正体
真田氏は滋野氏から海野氏の流れにある。
滋野氏 → 海野氏 → 真田氏
真田氏の元々の定紋である「結び雁金」や「六文銭」もまた滋野氏からの流れによるものだ。
そして謎の紋である「月輪七九曜」もまた同じく滋野氏よりの流れで受け継がれているものである。
『群書類従』の「滋野氏系図」では滋野氏の家紋は「月天七九曜」となっており、これは「月輪七九曜」のことであろうと思われる。
そしてこの「月天七九曜」は「月天千九曜」の誤りだと考えられるのである。
「千」とは「千葉氏」を意味する。千葉氏の家紋といえば月星紋。
つまり「千葉氏の九曜」という意味の可能性があるということである。
紋名に氏族名の一部を付けるというケースは多々見られるから、これもその類いではないか、ということだ。
つまり、これは「月天九曜」ということになる。実際、「月天九曜」という名称は様々な文献で登場するようだ。
因みに「月天」は「がってん」とも読む。これは十二天における月天のことで、チャンドラのことである。
九曜は日曜星(スーリヤ)・月曜星(チャンドラ/ソーマ)・火曜星(マンガラ/マンガル)・水曜星(ブダ)・木曜星(ブリハスパティ)・金曜星(シュクラ)土曜星(シャニ/シャナイシュチャラ)・羅睺(らごう)星(ラーフ)・計都(けいと)星(ケートゥ)のことである。
つまり、「月天」とは「チャンドラ」のことである。月曜日ですね。
これが分かると話は簡単である。
つまり「月天九曜」というのは「九曜の内のチャンドラ」ということになる。
それにふさわしい紋がある。
それはこの「八曜に月(図版7)」である。

図版7:八曜に月
紋帖では必ず載っている紋。もちろん私の著書でも収録している。
この紋はやはり千葉氏が多く使っている。私自身の家紋調査でも千葉氏ではこの紋が使われているケースが多い。
中央にある月は「真向き月」と呼ばれるものだが、これが細身になると「月輪」となる。「月輪七九曜」にも繋がってくる。
っというわけで、「月輪七九曜」及び「月天七九曜」の正体は「八曜に月」でした。
「八曜に月」って、「九曜」じゃないじゃないか?
という声もありそうですが、「九曜の内が月天」と解釈すれば問題ありません。
つまり「九曜型」ということです。
ただし、これはあくまでも「七」が「千」だったという誤植が前提の話。
これが本当に「七」だったら、この説は成り立たないとは思います。
でも、十中八九、ミスだと思いますけどね。
では。
【追記】
考え直してみた。
「七」が「千」だったという考えについてだ。
「千=千葉」としているが、これも苦しい。
ここは素直に「七曜と九曜」で考えておくべきなのだろうか。
私も時々書かせて頂いております。
現在発売中の『歴史読本2014年1月号』の「家紋拾遺譚~難読紋・奇紋の謎を解く73」では、私が執筆を担当しています。
「鞠鋏を家紋にした家の謎 蹴鞠の紋と蹴鞠に似た紋」と題して、鞠鋏紋について書かせて頂きました。
※サブタイトルの蹴鞠は鞠鋏の誤植です。
正しくは「鞠鋏を家紋にした家の謎 鞠鋏の紋と鞠鋏に似た紋」です。
以前にも当ブログのエントリーで鞠鋏について簡単に書かせて貰っています。
http://arkness.blog.fc2.com/blog-entry-19.html
真田氏の家紋
今回のエントリーで取り上げるのは「真田氏」の家紋です。
実はこれも以前に『歴史読本』で書かせて貰っているネタなのですが、新たに解釈しなおしてみたので、ここに記しておきたいと思います。
因みに掲載時は「家紋拾遺譚~難読紋・奇紋の謎を解く31 真田氏の家紋~人気武将の家紋・六文銭の変化」と題して、2010年に執筆しています。
寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)によると、真田家が幕府に提出した使用家紋は六連銭(ろくれんせん:図版1)、雁金(かりがね:図版2)、洲浜(すはま:図版3)の三つである。
本来の定紋は雁金である。どうやら江戸に入ってから六連銭が定紋に昇格したようだ。
この三つについては『歴史読本』に書かせて頂いたので詳細は省かせて頂く。



図版1:真田家銭(六文銭/六連銭) 図版2:結び雁金 図版3:州浜
さて、これら以外にも「割州浜(わりすはま)」「月輪七九曜(つきわしちくよう)」の使用も確認されている。
割州浜はなんとか図版は確認出来る。そこで私は図版4を制作し、著書『日本の家紋大事典』にも収録させて頂いた。(紋名は真田家割州浜とした)

図版4:真田家割洲浜
問題は「月輪七九曜」である。
これが困ったことに図案がどこにも見当たらないのである。
『歴史読本』で書かせて頂いた時は図版5や図版6のような形状が「月輪七九曜」ではないか?と答えを出していた。
しかしその後、いろいろと考えた末、違う結果に辿り付くこととなったのである。


図版5:月輪に九曜 図版6:八曜離れ星に月
月輪七九曜の正体
真田氏は滋野氏から海野氏の流れにある。
滋野氏 → 海野氏 → 真田氏
真田氏の元々の定紋である「結び雁金」や「六文銭」もまた滋野氏からの流れによるものだ。
そして謎の紋である「月輪七九曜」もまた同じく滋野氏よりの流れで受け継がれているものである。
『群書類従』の「滋野氏系図」では滋野氏の家紋は「月天七九曜」となっており、これは「月輪七九曜」のことであろうと思われる。
そしてこの「月天七九曜」は「月天千九曜」の誤りだと考えられるのである。
「千」とは「千葉氏」を意味する。千葉氏の家紋といえば月星紋。
つまり「千葉氏の九曜」という意味の可能性があるということである。
紋名に氏族名の一部を付けるというケースは多々見られるから、これもその類いではないか、ということだ。
つまり、これは「月天九曜」ということになる。実際、「月天九曜」という名称は様々な文献で登場するようだ。
因みに「月天」は「がってん」とも読む。これは十二天における月天のことで、チャンドラのことである。
九曜は日曜星(スーリヤ)・月曜星(チャンドラ/ソーマ)・火曜星(マンガラ/マンガル)・水曜星(ブダ)・木曜星(ブリハスパティ)・金曜星(シュクラ)土曜星(シャニ/シャナイシュチャラ)・羅睺(らごう)星(ラーフ)・計都(けいと)星(ケートゥ)のことである。
つまり、「月天」とは「チャンドラ」のことである。月曜日ですね。
これが分かると話は簡単である。
つまり「月天九曜」というのは「九曜の内のチャンドラ」ということになる。
それにふさわしい紋がある。
それはこの「八曜に月(図版7)」である。

図版7:八曜に月
紋帖では必ず載っている紋。もちろん私の著書でも収録している。
この紋はやはり千葉氏が多く使っている。私自身の家紋調査でも千葉氏ではこの紋が使われているケースが多い。
中央にある月は「真向き月」と呼ばれるものだが、これが細身になると「月輪」となる。「月輪七九曜」にも繋がってくる。
っというわけで、「月輪七九曜」及び「月天七九曜」の正体は「八曜に月」でした。
「八曜に月」って、「九曜」じゃないじゃないか?
という声もありそうですが、「九曜の内が月天」と解釈すれば問題ありません。
つまり「九曜型」ということです。
ただし、これはあくまでも「七」が「千」だったという誤植が前提の話。
これが本当に「七」だったら、この説は成り立たないとは思います。
でも、十中八九、ミスだと思いますけどね。
では。
【追記】
考え直してみた。
「七」が「千」だったという考えについてだ。
「千=千葉」としているが、これも苦しい。
ここは素直に「七曜と九曜」で考えておくべきなのだろうか。
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