謎の紋「うけ」

何がモチーフなのか? そんな家紋が数多く存在する。
現代ではその意味が失われてしまっているものなのだろうか。
当たり前のように使われている家紋でもそのデザインの本当の正体や意味が分からなくなってしまっているものもある。それらはまるで無理矢理、後生に作り上げたような説やこじつけられた(ような)説が定説となっているものもある。
それらはいくつかの説が存在するが、明確な答えの出ていないものが多く、腑に落ちない。
また、名称だけが伝わり、デザインそのものが不明な家紋も存在する。形状不明の紋は「発見されていない」「別の紋の呼び名(その家での通称)」「歴史から消えた」などの理由であるため探すことが困難だ。

今回とりあげる紋は「謎の紋」。そのモチーフの正体がさっぱり分からない。
このブログを読んで下さるアナタにも一緒に考えて頂きたい。私一緒にこの謎に挑んで欲しい。

謎の紋との出会い
今年の夏に出会った紋が図版1である。(図版1は私が制作したもの)
見つけた時は「なんだろう、これ? テトリスっぽいな」程度だった。何となく見たことがあるような気がしたので、調べればすぐに分かるだろうと楽観的に考えていた。
この墓は伊東姓であり、「庵木瓜じゃないのか」と思った記憶がある。(伊東姓の代表紋は庵木瓜)
それからこの家紋のことは忘れてしまっていた。

丸にうけ菱
図版1

今から数日前、ふとこの紋のことを思い出した。
京都家紋研究会では主なやりとりにFacebookを利用している。京都家紋研究会専用のグループで、それぞれが発見した家紋の投稿などを行い、日々論議や雑談で盛り上がっている。
「確か、あのテトリス紋はFacebookで話題になってたような。誰がアップしたんだっけ? 誰が撮ったんだっけ?」
と、すっかり頭から抜け落ちていた。
話題を振ってみるも反応も少なく、知らないという発言もあった。
もしかすると自分が撮影しただけで、アップすらしていなかったのかもしれない。アップした気になっていなかったのかもしれない、と再度パソコンをチェックすると容易く出てきた。
っと、同時に撮影時のことをありありと思い出したのである。

謎の紋を探る
思い出してすっきりしたところで、この紋の正体を探ってみることにした。
京都家紋研究会メンバーの情報では同形の紋が狩谷姓(金沢市)、金森姓(広島市)で記録しているという。ちなみにその方は「丸に変わり紗綾形卍」と名付けておられたようだ。
確かに「紗綾型万字(卍)」(図版2)と似てはいるが、紗綾型とは恐らく違う。因みに「紗綾型万字」は「紗綾型稲妻」の間違いである可能性がある。稲妻紋で載っていることが多い。私の著書では両方に掲載している。
そもそもの紗綾型の文様から考えると、このテトリスのような形状に独立させるとは思えない。つまりこの紋は紗綾型でも稲妻紋でも万字紋でも無いということだ。
今回の情報で分かったことは「いくつかの地域で見られる」「使用姓にばらつきがある」ということである。つまりこれは「家紋」である可能性が非常に高いのだ。
紋帖や文献などに見られない紋を発見することは非常に多いが、それが本当に家紋であるかどうかまでは分からないことがある。
個人の紋章、つまりそれは私紋(わたくしもん)や個紋(こもん)と呼ばれる紋の可能性である。家紋ではなく、個人が創作(または個人や故人のために制作)した紋の可能性もあり得るということだ。これらは一般的に家紋とは区別される。
家紋の定義は様々であるが、基本的には「家を代表する紋章」「継承される」という特徴がある。
例えば、非常に珍しい家紋を見つけたとして、また別の墓所で同じ家紋を見つけたとする。双方が同じ名字であればその一族が使っている家紋であることは一目瞭然。
今回のこの謎の紋は「三カ所」で「三つの名字」で発見されている。限りなく家紋に近い。
同族ではないと思われるが、同じ意匠(デザイン)の紋を使用しているということは、文献などにこの紋が掲載されている可能性もあるかもしれない。
家紋の発生には様々あるが、一つの可能性には「紋帖から選ぶ」ということがある。
しかし私の記憶ではこの紋はどの紋帖でも見られなかった気がする。
著書『日本の家紋大事典』を執筆するにあたって、かなりの数の紋帖をじっくりと見てきたが、この紋はどのモチーフにも分類されていなかったはずだ。最も似ているのは前述した通り「紗綾型万字」だけである。

隅立て紗綾形稲妻
図版2:隅立て紗綾形稲妻(万字)

謎の紋は「丸にうけ菱」
迷宮入りかと思われたこの謎の紋は意外とあっさり発見することが出来た。
別の調べ物で江戸時代の紋帖『早見紋帳大成』(安政三年:1856年)を捲っていると、なんとこの紋が掲載されていたのである。あまりにも唐突な出来事に目が点になった。
何となく見たことがある気がしていたのはこういうことか、と。しかし何故今までこの紋に注目したことが無かったのか、それが不思議で仕方なかった。
それが図版3であるが、「丸にうけ」と「うけひし」と書いてある。つまりこの紋は「うけ」ということが分かった。
「字」が苦手な私には本当にこれを「うけ」と読むのか半信半疑であったが、「うけ紋」の前のページには「鱗紋」が掲載され、「うけ紋」の次には「団扇紋」が掲載されているため、間違い無く「う」から始まる名称の紋であることは間違いなかった。
もしかすると……と念のために他の古い紋帖もいくつか見てみると、数冊にこの紋が同じように二点掲載されている。そのどれもが「鱗紋」と「団扇紋」の間に掲載されているのである。紋帖によっては読みやすい文字あり、改めてこれが「うけ」であると確信を得ることも出来た。
『早見紋帳大成』では目次に「うけ」の文字は見当たらない。しかし他の紋帖では「うけ」と目次に記載されるケースもあった。
以下に掲載される紋帖を挙げてみる。

  • 『早見紋帳大成』(安政三年:1856年)

  • 『無双広益紋帳』(明治十一年:1878年) 目次に記載

  • 『新紋集?』※正確な題名不明(明治三十三年:1900年) 目次に記載

  • 『紋づくし?(新紋集いろは引)』※正確な題名不明(明治三十九年:1906年) 目次に記載

  • 『図解いろは紋帖大成』(昭和八年:1933年)


以上である。こちらが把握していないだけで、他の紋帖にも掲載されている可能性もある。
うけ紋
図版3:うけ紋(『早見紋帳大成』より)

消された紋?
少なくともいわゆる染め抜き式紋帖(紋帳は図版3のように素描で描かれていたが、明治に入ると黒のバックに描く染め抜きタイプのものが登場し以後これが基本となる)には一切の掲載が見当たらない。
そしてこの「うけ紋」は大正以降の紋帖では存在が消されている。
上記にあげた『図解いろは紋帖大成』は昭和の発刊ではあるが、その内容は『早見紋帳大成』と酷似する。いわば復刻である。『早見紋帳大成』では二段の構成だが、『図解いろは紋帖大成』では三段の構成に変更されている。掲載される紋やその内容は同じであるため、同じ紋帖であると言っても差し支えは無いだろう。
しかし何故この「うけ紋」は紋帖から姿を消してしまったのだろうか。
もしかすると江戸時代では当たり前だった言葉「うけ」が近代ではその意味が失われてしまっており、染め抜き式紋帖を作成する際に「『うけ』とはなんだ? 分からないから載せないでおこう」ということになったのかもしれない。あくまで私の想像にしか過ぎないが「分からないものは載せない」というのはあながち間違いでは無いだろうかと思う。
もしかすると家紋事典や家紋図鑑の部類の書籍には掲載されている可能性もまだある。存在する大半の紋帖は所有しているが、家紋事典や家紋図鑑までは網羅出来ていない。そのため、落ちはあるかもしれない。
因みに『日本紋章学』『日本家紋総監』などは全ページを隈無く探してみた。手持ちの家紋に関する本にも記載は無かった。(もちろん見落としはあるかもしれないが)

「うけ」を探る
いずれにしてもこの謎の紋は「うけ」と呼ばれる紋であることが分かった。それだけでも大きな収穫である。
では、「うけ」とは何であろうか。
これが最大の問題であり、このブログを読んで下さっているアナタにも考えて頂きたいものだ。
まず、この「うけ紋」が何に分類されるものなのだろうかと考えてみた。
候補として私が挙げているのは「器材紋」「文様紋」「図符紋」の三つである。
これはあくまでも形状からの判断である。「自然紋」「植物紋」「動物紋」「建造物紋」「文字紋」などには適応しない形状だろう。
文様として一番近いものは何度か前述している紗綾型ではあるが、その形状に当てはまらないのは先にも触れたとおりであり、可能性が高くなってくるのは「器材紋」と「図符紋」である。

「うけ」という言葉を調べてみると、その中で可能性がある言葉が二つ浮上してきた。
それは「筌」と「有卦」である。
筌は漁具、有卦は陰陽道に関わる言葉である。この二つから私が想像したのは以下の通り。


  • 筌:筌は川底に沈め、周りを石で流されないように置いておく。この形状を象ったものか? ちょっと無理矢理過ぎるか。ちなみに筌は「うえ」ともいう。

  • 有卦:有卦船(うけせん)というものがある。これはいわゆる宝船のようなもので、「ふ」の付く字のものを七つ載せる。その中には富士山もあるから、もしかすると富士山を象ったものであろうか? 富士山紋は存在するのでこんなまどろっこしい表現をするだろうか?


他に「食(うけ)」、「浮子(うけ:いわゆる浮きのこと)、「槽(うけ:大きな入れ物)」などなど。単純に「受け」や「浮け」の可能性もあるかもしれない。
これら「うけ」という言葉に共通するのは「水」が関わってくるということだろうか。

ネットでいろいろ検索していると、とあるブログに「中島姓の家紋に筌」とあるが、詳細は不明である。もしこれが「うけ紋」のことであれば正体は「筌」の可能性が高くなるのだが。
「うけ」に関係しそうな家紋絡みの情報は唯一がこれだけであった。他には一切無い。
しかし何故「うけ」と平仮名なのだろうか。これが漢字であれば正体を探すことが可能だったかもしれないのに。「うけ」とは何かの略称かもしれないし、本来は全く別の名称のものであったことも考えられる。
この家紋を使用している家ではこの紋は何と呼ばれているのだろう。
そしてこれの意味は伝わっているのだろうか。



もしこの家紋をご使用の方がおられましたら、是非情報をお寄せください。
また、何かこの紋について知っているという方がおられましたら、ご一報ください。
「こうじゃないか? ああじゃないか?」というご意見もお待ちしております。
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プロフィール

森本勇矢

Author:森本勇矢
京都市在住。41歳。
本業である染色補正の傍ら家紋研究家として活動する。
一般社団法人京都家紋協会代表。
京都家紋研究会会長。
日本家紋研究会副会長。
月刊『歴史読本』への寄稿をする他、新聞掲載・TV出演など。
著書『日本の家紋大辞典』(日本実業出版社)
家紋制作、家系調査などのお仕事お待ちしております。
ご連絡はFacebook、Twitter、Instagramなどからお願いします。

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