『女紋』出版の経緯 其の一
今回は少し趣旨から逸れて、書籍『女紋』を自費出版することになった経緯と自費出版について綴っていきます。
元々webサイト「大宮華紋森本」内でエッセイ的にアップしようと思っていたものを掘り起こしたものです。
「織田信長が家臣に串団子を見せ「このように敵の首をとってこい」と言ったんです。
そしてその家臣はそれを見事成し遂げ、それの褒美として、信長が『串団子の紋』を与えたんです。
それが『団子紋』の始まりなんですよ」
数年前のとある日のこと。
消費者のお客様がお見えになり、親父(景一)がその方を休憩室へ招いた。
私も同席してその話しを聞いていた。
当時の私はまだ「家紋」の知識はほぼ皆無に等しく、せいぜい同年代の人よりちょっと知ってる程度。
様々な話しの中で、家紋の話となり、冒頭に書いた話を親父がお客様に話した。
戦国武将の中でも織田信長が好きだった私はその話しに興味を持った。
ん? これは使えるかもしれない。
何が「使えるのか?」というと、当時はまだまだサイトのデータが不十分で、日々ネタを探していました。
この頃、まだ「家紋研究」のページはまだ存在せず、「加賀紋」の前身となったページだけがあっただけです。
その話しを聞いた私は居ても立ってもいられなくなり、お客様がいるのにも関わらず、親父に言いました。
「親父…それ面白いぞ? その話を他の紋の話しとか一緒にまとめて親父の『家紋研究』として、サイトでアップしよう。他にも家紋のこぼれ話的なものはどんどんアップしていった方がいい」
このような私の一言から「家紋研究」のページはスタートしたのでした。
そしてこの出来事が後に書籍となることとなり、私を家紋研究家としての出発点となったのです。
つづく。
ちょっと今までのブログの内容とは異なるものですし、面白くないとは思いますが、後何話か続きます。すみません。
ARK@遊鵺
元々webサイト「大宮華紋森本」内でエッセイ的にアップしようと思っていたものを掘り起こしたものです。
「織田信長が家臣に串団子を見せ「このように敵の首をとってこい」と言ったんです。
そしてその家臣はそれを見事成し遂げ、それの褒美として、信長が『串団子の紋』を与えたんです。
それが『団子紋』の始まりなんですよ」
数年前のとある日のこと。
消費者のお客様がお見えになり、親父(景一)がその方を休憩室へ招いた。
私も同席してその話しを聞いていた。
当時の私はまだ「家紋」の知識はほぼ皆無に等しく、せいぜい同年代の人よりちょっと知ってる程度。
様々な話しの中で、家紋の話となり、冒頭に書いた話を親父がお客様に話した。
戦国武将の中でも織田信長が好きだった私はその話しに興味を持った。
ん? これは使えるかもしれない。
何が「使えるのか?」というと、当時はまだまだサイトのデータが不十分で、日々ネタを探していました。
この頃、まだ「家紋研究」のページはまだ存在せず、「加賀紋」の前身となったページだけがあっただけです。
その話しを聞いた私は居ても立ってもいられなくなり、お客様がいるのにも関わらず、親父に言いました。
「親父…それ面白いぞ? その話を他の紋の話しとか一緒にまとめて親父の『家紋研究』として、サイトでアップしよう。他にも家紋のこぼれ話的なものはどんどんアップしていった方がいい」
このような私の一言から「家紋研究」のページはスタートしたのでした。
そしてこの出来事が後に書籍となることとなり、私を家紋研究家としての出発点となったのです。
つづく。
ちょっと今までのブログの内容とは異なるものですし、面白くないとは思いますが、後何話か続きます。すみません。
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