詩人立原道造の家紋
「これは立原道造(たちはらみちぞう)という詩人の墓の家紋なのですが亀甲の中の文字は何かおわかりになりますか」
一本気新聞でお馴染みであり、著書に『家紋主義宣言』がある西村昌巳氏からツイッターでこのようなご質問を頂いた。

見たところ、「三つ盛り亀甲(みつもりきっこう)」だ。
上部の亀甲には花角(はなかく)が入っている。
そして質問内容通りに下部の左右には謎の「角字(かくじ)」が入っている。
恥ずかしい話しではあるが、角字は苦手で正直なところ読めないことが多い。
『日本家紋総監』の「角字」の項と「亀甲」の項を見ても類似するものは見られないし、角字を調べてみてもやはり類似するものはない。
角字に関する資料が乏しいのでインターネットで探してみたがやはり見つからない。
角字を見ていると、法則のようなものがあるように見える。
この線から読んでいくしかないのだろうか?
角字の元は「篆書体(てんしょたい)」であることが多いようだ。
角字自体の数はそんなに多いものではないようだが、こちらで調べた資料ではやはり限界のようであった。
本来、白舟角崩(はくしゅうかくくずし)という。略称として角字崩し、角字といい、また腰文字ともいわれる。主に篆書体を簡略し、さらにデザイン性を持たせ、四角形に収まるようにしたものが角字。
それは家紋と全く同じ性質を持つようだ。
そもそも角字自体が、家紋や屋号(商標なども)に使うために考案されたものなのであろう。
どちらにしても書体に詳しくないので埒があかないと判断した私は仕事でもお世話になっているとあるハンコ屋さんを訪ねた。
「これは角字というより篆字ですね」
と、おっしゃった。先に書いたように篆字から角字になるケースは多いそうだが、これは比較的篆字に近いらしい。
「右のものは『東』だと思います」
そうおっしゃりながら資料を篆字の資料(?)を確認された。ほぼ間違いないようだ。
そして問題が左のもの。
「これは何とも言えないですが、『平』に近いと思います。ただし、上が突き抜けているのが謎です」
とおっしゃった。
篆字を角字にするとき、簡略を行ったり、増やしたり、デザインを変えたりすることがあるそうだ。
それを「簡略画」「増画」などと言い、篆字を意匠化する時に行うことが多いという。
つまりは家紋や屋号などに漢字を意匠化する究極の簡略が角字であるというのだ。
「っということは、左の『平』の字が上に突き抜けているのは、右の東に合わせて、バランスを取るためにデザインしたという可能性があるわけですね」
と、私は仮説を出した。
あくまでもこれは可能性であり、明確な答えではないかもしれないとのことで、もし何か分かればご連絡を頂けるとのことであった。
現状での答えは『三つ盛り亀甲の内に花角東平の角字』というような紋名になるのではないだろうか。
角字はその使用者の苗字や名前を使用することが多いようだが、この紋に関してはそれに関わるようなものではなかった。
当然何か意味があるのであろうが、家紋の形状からだけではそれの答えを出すには至らない。
ここまで調べてきたが肝心の「立原道造」という詩人について私は何も知らなかった。
簡単にインターネットで検索してみたが、この「立原道造」という方は詩人であり建築家だったようだ。そして24歳という若さで亡くなられていた。先祖に立原翠軒(たちはらすいけん)、立原杏所(たちはらきょうしょ)があることから桓武平氏鹿島氏流立原氏であると思われ、「平」の字は平氏の意であろうか。
問題は「東」の字が何を表したのか?
単純に東京を表しているのかもしれないし、なんとも言えない。
ただ、先祖である立原杏所が号した中に「東軒」とあるので「東」もまた立原氏の先祖を示すキーワードなのかもしれない。
これ以上のことは現状では分からない。もう少し追っていこうと思う。
ARK@遊鵺
一本気新聞でお馴染みであり、著書に『家紋主義宣言』がある西村昌巳氏からツイッターでこのようなご質問を頂いた。

見たところ、「三つ盛り亀甲(みつもりきっこう)」だ。
上部の亀甲には花角(はなかく)が入っている。
そして質問内容通りに下部の左右には謎の「角字(かくじ)」が入っている。
恥ずかしい話しではあるが、角字は苦手で正直なところ読めないことが多い。
『日本家紋総監』の「角字」の項と「亀甲」の項を見ても類似するものは見られないし、角字を調べてみてもやはり類似するものはない。
角字に関する資料が乏しいのでインターネットで探してみたがやはり見つからない。
角字を見ていると、法則のようなものがあるように見える。
この線から読んでいくしかないのだろうか?
角字の元は「篆書体(てんしょたい)」であることが多いようだ。
角字自体の数はそんなに多いものではないようだが、こちらで調べた資料ではやはり限界のようであった。
本来、白舟角崩(はくしゅうかくくずし)という。略称として角字崩し、角字といい、また腰文字ともいわれる。主に篆書体を簡略し、さらにデザイン性を持たせ、四角形に収まるようにしたものが角字。
それは家紋と全く同じ性質を持つようだ。
そもそも角字自体が、家紋や屋号(商標なども)に使うために考案されたものなのであろう。
どちらにしても書体に詳しくないので埒があかないと判断した私は仕事でもお世話になっているとあるハンコ屋さんを訪ねた。
「これは角字というより篆字ですね」
と、おっしゃった。先に書いたように篆字から角字になるケースは多いそうだが、これは比較的篆字に近いらしい。
「右のものは『東』だと思います」
そうおっしゃりながら資料を篆字の資料(?)を確認された。ほぼ間違いないようだ。
そして問題が左のもの。
「これは何とも言えないですが、『平』に近いと思います。ただし、上が突き抜けているのが謎です」
とおっしゃった。
篆字を角字にするとき、簡略を行ったり、増やしたり、デザインを変えたりすることがあるそうだ。
それを「簡略画」「増画」などと言い、篆字を意匠化する時に行うことが多いという。
つまりは家紋や屋号などに漢字を意匠化する究極の簡略が角字であるというのだ。
「っということは、左の『平』の字が上に突き抜けているのは、右の東に合わせて、バランスを取るためにデザインしたという可能性があるわけですね」
と、私は仮説を出した。
あくまでもこれは可能性であり、明確な答えではないかもしれないとのことで、もし何か分かればご連絡を頂けるとのことであった。
現状での答えは『三つ盛り亀甲の内に花角東平の角字』というような紋名になるのではないだろうか。
角字はその使用者の苗字や名前を使用することが多いようだが、この紋に関してはそれに関わるようなものではなかった。
当然何か意味があるのであろうが、家紋の形状からだけではそれの答えを出すには至らない。
ここまで調べてきたが肝心の「立原道造」という詩人について私は何も知らなかった。
簡単にインターネットで検索してみたが、この「立原道造」という方は詩人であり建築家だったようだ。そして24歳という若さで亡くなられていた。先祖に立原翠軒(たちはらすいけん)、立原杏所(たちはらきょうしょ)があることから桓武平氏鹿島氏流立原氏であると思われ、「平」の字は平氏の意であろうか。
問題は「東」の字が何を表したのか?
単純に東京を表しているのかもしれないし、なんとも言えない。
ただ、先祖である立原杏所が号した中に「東軒」とあるので「東」もまた立原氏の先祖を示すキーワードなのかもしれない。
これ以上のことは現状では分からない。もう少し追っていこうと思う。
ARK@遊鵺
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