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2011-04-22

魚紋

父である森本景一が『家紋を探る~遊び心と和のデザイン~』を出版してしばらくしたある日、私の友人が我が家に来た時にその本を見せる機会があった。

「以前からお前にはいろんな家紋の話しとか聞かせて貰ってたけど、家紋ってほんまに色んな種類があるんやなぁ」
と本を捲りながら言った。
「基本的な文様から、なんでこれが紋に?ってのも多いな。でも、家紋にはその意義があって意味があるから。まぁ、好きな紋を使うのもアリといえばアリだ」
私はそう答えた。
「俺は釣り好きやし、魚の紋でも使おうかな。以前、用意してくれた浴衣が鯉やったやろ? アレめっちゃ気に入ってんねんで」
彼はそう笑いながら言い、私に尋ねた。
「魚の紋ってどんなんがある?」

この時まで特に考えたことは無かったが、「魚紋」というものは確かに見た事がなかった。
そしてこれがきっかけで「魚紋」を調べることになり、結果、月刊『歴史読本』に私の原稿が載ることとなった。
「魚紋」が私のデビュー(?)のきっかけであった。
今回のエントリーは『歴史読本』に書いた原稿から抜粋したものに追記を加えるものである。

さて、「ありそうでない家紋」として名がよく上がるのがこの「魚紋」である。
先に結論から言うと「家紋としては存在している」が答えだ。
とはいえ、魚紋は比較的新しいものが多く江戸時代の頃には存在していた形跡はない。
ゆえに家紋研究家の先人たちのいう「新紋」に違いないのである。


【家紋として用いられる魚紋】

まずは先に現在確認されている魚紋をご覧頂こう。
これらは全て『日本家紋総監』千鹿野茂著(角川書店)に掲載されるもので実際の墓石に彫られているものである。
以下の四点は「鯉」の項に掲載される。
鯉の滝昇り(浅野氏) 魚形(流山氏)
鯉の滝昇り(浅野氏) 魚形(流山氏) 

飾り輪の中に対い鯉(須藤氏) 丸に三つ波に鯉(鯉登氏)
飾り輪の中に対い鯉(須藤氏)、丸に三つ波に鯉(鯉登氏)

さらに「波・浪」の項と字紋の項に以下のものが掲載される。

丸に浪に魚 鯉文字
丸に浪に魚、鯉文字

他に一本気新聞でいずれも創作紋だが、3点の魚紋が確認出来る。
http://www.ippongi.com/2008/11/20/sonohoka/
映画監督:内田吐夢、料理研究家:田村魚菜、小説家:三浦綾子


【紋帖や家紋図鑑で図柄の確認出来る魚紋】

紋帖『江戸紋章集』に番外紋という項があり、そこに「鯉水」という紋が載る。
出所が不明だが字紋として「鯛の鯛」が存在する。これが何故字紋としているのか謎だ。
紋帖や紋図鑑の「瓶子(へいし)」に「糸輪に瑞瓶」という紋が載る。これの模様に描かれるものは魚そのものだ。どうみても壷だが、何故か瓶子紋として扱われている。

鯉水 丸に鯛の鯛 糸輪に瑞瓶
鯉水、鯛の鯛、糸輪に瑞瓶


その他に紋帖『平安紋鑑』の初版にのみ掲載されるのが、「登り鯉」「鯉の丸」「鯛の丸」である。
これらは「伊達紋」の項に掲載されているため、もちろん創作紋であり、図案である。
尚、『平安紋鑑』の初版はかなりレアなため入手は困難である。
「登り鯉」と「鯉の丸」は私がトレースしたため事典に掲載予定。「鯛の丸」は見送った。
後は、丹羽基二氏著書の『[家紋と家系]辞典』に「波に鯉の丸」が載る。
この紋は恐らく丹羽氏が創作したものであるとみられる。


【ネット上に載る魚紋のウワサ】

インターネットで魚紋を調べると様々な情報に出会うことが出来た。
その情報は大きく別けると三つである。
しかし残念なことにそのほとんどが間違った情報であった。

その三つを調査した結果を以下に記しておく。

鳥取市の長田神社では鯛を神紋としている
長田神社に直接電話して聞いてみた結果が次の通り。
「神紋自体は『揚羽蝶』ですが、神さまの紋を使うことは恐れ多いので、普段の紋は『対い鯛(むかいだい)』を使用しています(印刷物など)」
鯛の紋をいつから使用しているのか? という質問について。
「戦後から使用しています。普段神紋を使うのはやはり恐れ多いので、制作致しました」
何故鯛の紋?
七福神の恵比寿を祀っているということから鯛を使用している。
そしてFAXで送って下さったのがこの紋である。
対い鯛
確かに「鯛」だ。向かい合った鯛の周りには竹輪があしらわれている。
鯛が向かい合わせになっているのは、夫婦を意味し、円満を表すものであるという。

徳島県海南市の轟神社では鰈を神紋としている
普段は無人の神社であるため、なかなか情報を得られなかったが、なんとか連絡を取ることができた。
宮司さん曰く、神紋で鰈を使用していることについての回答は「分からない」とのことであった。
神紋は別に存在しているそうである。
ネットの情報では「『神社の裏の滝壷に住みついた』と言い伝えが残っている」と記述してあった。
確かに鰈についての伝説は残っているとのことだが神紋と関わり合いは無いようである。
情報が交差してしまったのだろう。

歌舞伎役者宗家市川団十郎は芸紋として滝に鯉をしようしていた
市川團十郎の芸紋について、市川団十郎事務所にメールで問い合わせてみた。
「家紋はあくまで三升、掘越家の家紋は近衛牡丹、それを簡略化して舞台で使うようにした替え紋が杏葉牡丹、これしかありません」
このような回答を頂いた。鯉は紋では無く模様であり、舞台衣装の柄ということであった。
模様、もしくは文様を「紋」と勘違いされていたようである。


【何故、魚紋は少ないのか?】

現在、魚紋で継承されていると確認されているのは「鯉登(こいと)」氏のみである。
元は小糸氏で改姓した際に家紋も改めたという。
現在見られる魚紋の全てが明治以降に誕生したものであることには違いないようだ。
ならばそれ以前は何故無いのだろう?
家紋が最も重要視された頃はいわゆる戦国時代である。
武家は戦を縁起に託すことが多かった。そして選んだ家紋もまたそのような意味合いを持つものが非常に多い。
戦国時代の家紋たちを見ると、無骨であったり、異形であったり、不気味だったりする。それは敵に対して、威嚇するなどの意味合いもあったといわれる。
同じ水中生物である蟹や海老が家紋に取り入れられたのはもちろんその姿形からである。鎧を連想させ、その強固な外骨格や威嚇する様が受け入れられた。
「足が速い」という言葉がある。魚は腐りやすいという意味で有名な言葉だ。
地に足がつかず腐ってしまう魚を吉祥と捉えなかったのだろう。

江戸期に入ると世の中は安定した。元禄の頃はそれは華やかで家紋のバリエーションも広がり庶民も家紋をつけた。
しかしこの時期に入っても魚紋は浸透しなかった。
これが一番の大きな謎なのかもしれないが、戦国時代に家紋として取り入れられなかったその思想が暗黙の了解となっていたのかもしれない。

ARK@遊鵺
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プロフィール

森本勇矢

Author:森本勇矢


京都市在住。38歳。
本業である染色補正の傍ら家紋研究家として活動する。
京都家紋研究会会長。日本家紋研究会理事。
月刊『歴史読本』への寄稿をする他、新聞掲載・TV出演など。
著書『日本の家紋大辞典』(日本実業出版社)
家紋制作、家系調査などのお仕事お待ちしております。

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