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2011-06-29

時代による墓石の違い&彫りミス

本格的に墓地調査を開始してまだ二ヶ月弱といったところだが、現在までに20カ所ほど墓地をまわった。
他府県の墓地に足を踏み入れたことが無いので自分自身では比べようがないのだが、京都の墓地をまわって思うのが、古い墓が非常に多いということを感じる。
墓石に刻まれる文字を見る限りでは江戸時代のものも思った以上に多い。
明治、大正、昭和初期、そして現代。様々な年代の墓が混在している。

墓地をまわって気づいたことを今回のエントリーではいくつか記載させて頂こうと思う。

【形状の違い】
今まで墓石についてあまり気にとめたことはなかったのだが、その種類の多さに驚きを隠せない。
形状の違いについては他のサイトやブログで多く記載されてるためここでは記載しない。
(知識が浅いということもあるが・・・)

【素材の違い】※素材の名称を詳しく知らないのであくまで「雰囲気」で書かせて貰ってます。
大まかな雰囲気でだいたいの時代は見えてくる。
江戸時代の墓は年月が物語る風化などで判断しやすい。
明治初期~大正時代のものと雰囲気は似る。ここまでは刻まれた文字に頼るしかない。
ただし、大正の頃から少しずつ石の素材が変わってくる。
昭和初期の頃のものとなると、白っぽい墓石になってくる。

【製法の違い】
江戸時代の頃の墓石を見ると「ひび割れ」をしているものが多い。
宗派によって違いはあるであろうが正面には主に戒名が刻まれていることが多いようだ。
名字や屋号の多くが側面の部分に刻まれている。しかし剥がれ落ち、名字や屋号を知ることすら出来ない場合も多い。
ここで注目すべきは「剥がれ落ちている」ということだ。
表面から剥がれ落ちているのは厚さが1~2センチといったところであろうか。
このことから自分が推測するのは土台となる石のまわりを塗り固めているのであろうということ。
何で塗り固めているのかまでは分からないが、現代でいうコンクリート的なものではないかだろうか。

【彫り方の違い】
製法の違いで触れたように、江戸の頃の墓石はまわりを何かで塗り固めていることには間違いない。
現代の墓石は石そのものを削り彫っている。
自分は石材屋ではないので詳しくは知らないが、現代ではいわゆる機械彫りが主流で、思い通りの彫り方が可能だ。
そのため細かな彫りも可能となっており、複雑な形状のものなども容易に彫ることが出来るのだろう。
しかし江戸時代の頃は当然手彫りである。
石を現代のように彫る技術というのは乏しかったと思われる。
そこで考えられたと思われるのが、塗り固めるという方法なのだろう。
あくまで推測でしかないのだが、江戸時代の頃の墓に刻まれた文字や家紋などは固まる前に彫られていると思われる。
江戸時代の頃の墓石に彫られた文字や家紋を見ると、その綺麗さに驚く。
まるで墓石に書いたような達筆なのだ。紋の線(上絵)も非常に綺麗に残っている。
さらに驚くのは線の細さにも変化が付けられているということだ。
例えば蘂(しべ・すべ:葉脈のこと)は限りなく細い線で彫られているのに対し、それら以外の線は少し太めに彫られていたりすることがあるのだ。
これらの芸当は堅い石に対して当時ので技術で出来るものだとは考えにくい。木材のように出来るわけがないからだ。
つまり固まる前の柔らかな状態で細工を行っているとしか思えないのである。
江戸時代の墓の一例
※側面に入った紋の部分のみが少し崩れた例。
ちなみに紋は「左走り馬」であるが、紋帖や『日本家紋総監』では見られない形状である。

【昭和初期の墓石】
彫り方の違いで触れたように江戸時代の墓石は乾く前に彫られたと思われる。
その技法は明治に入っても行われていたと思われ、大正時代もほぼ同じであろう。
問題は昭和初期(大正の頃もあったかもだが)の墓石である。この頃から素材は一変している。
素材の違いで少し触れたが、昭和初期の墓石は白っぽい素材だ(それが何か私は知らないが)。
この頃から現代に通じる彫り方になってきている。しかし現在のものと比べると彫りは浅い。
そのため、紋の形状が確認しづらかったり、確認出来なかったりする。
そして面白いことにこの頃の彫りで時々見られるのが「ミス」である。

【彫りミスとは?】
昭和初期の頃から彫り方が変わった。
それまでの彫り方は先ほど述べたとおりで、その彫り方のほとんどが着物や印染めに描く通りの手法であることが多い。つまり直接彫るように描いているわけだ。とはいえ全く全てがそういうわけでは無い。
先日書かせて頂いた「祇園守 ~ステキな紋との出会い~」で掲載した祇園守紋のように浮き彫り風にしていることもある。
ただし、これは紋の部分だけを予め盛ってから彫っていると思われる。

さて、ミスとは何かということだが。
それまでは描くように彫ってきたものが、突然と変わったことによって、彫り手が解釈違いをしてしまっている、というものだ。
それは浮き彫りと彫り込みが混在してしまい、一見何が彫られているのか分からないというものが存在するのだ。
本来彫り込みで表現する部分が浮き彫りで表現されているものが多々見られる。
写真を載せることで問題が生じる可能性もあるので、その間違った彫りをしているものを簡単にトレースをしてみた。

浮線扇
これが通常の「浮線扇」。紋帖などで見られる形式のものだ。
浮線扇(反転)
これは反転したもの。ネットでよく見かける。
そしてこれが「彫りミス」をした墓石をトレースしたもの。
彫りミス浮線扇

黒が「彫り込み」の部分で、グレイが「浅彫り」をしてある部分だ。
「浮線扇」紋は「浮線蝶」という蝶紋を扇で擬態させたいわゆる擬態紋と呼ばれるものである。
そのため、触角のようなものがある。
この触角の解釈が実におかしい。この彫り方だと触覚部分は彫らずに残しておかなくてはならないのだ。
だが、この墓石ではこの部分が彫られていた。そして中央の畳んだ状態の扇もおかしい。
触覚部分の解釈が不自然なため、中央で本来彫られるべきの箇所(円形の辺り)が彫られていないため、ぱっと見の印象では一体何の紋なのかが分からないのだ。
今回はトレースして理解して貰えるよう色分けをした上に、予め「浮線扇」であるということを説明しているので、「彫りミス」の紋を見ても「浮線扇」と判断出来るが、実際に墓石を目の当たりにすると、それが「何なのか」分かるまでに時間がかかった。
始めて見たときは「中央にあるのは団扇か?」と思ってしまったほどだ。

これはあくまでも一例だ。
他にも似たように解釈を間違えて彫られた墓石は存在している。
現代のものや江戸、明治、大正の頃の墓石には見られないミスである。
もちろん紋帖や紋図鑑などで見る形状と若干異なるのは表現の違いや感性の違いによるところは大きい。
しかしこれは明かなミスである。
この墓の家の主がこの事実をご存じかどうかは定かではない。
仮にお教えしたところで彫り直すというのも難しい話しだ。



今回執筆させて頂いたエントリーはまだ墓地巡りを始めて日が浅い私自身が感じたことを書いただけである。
もちろん今後の調査やご教授されることで、また変わってくるだろう。
そしてこのエントリーで解説させて頂いた話しは次にエントリーする記事への布石である。
次は「古い墓石に感じる」ことを書いて行きたいと思う。

長文で失礼。ではまた。

ARK@遊鵺
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プロフィール

森本勇矢

Author:森本勇矢


京都市在住。38歳。
本業である染色補正の傍ら家紋研究家として活動する。
京都家紋研究会会長。日本家紋研究会理事。
月刊『歴史読本』への寄稿をする他、新聞掲載・TV出演など。
著書『日本の家紋大辞典』(日本実業出版社)
家紋制作、家系調査などのお仕事お待ちしております。

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