割梅鉢 墓参りを経て
前回のエントリーで墓参りのことについて自分の思うのことぐだぐだと書かせて頂きました。
その後、じっくりと考え、また『葬式仏教の誕生』(松尾剛次著:平凡社新書)を読ませて頂いて、少し考え方に変化は訪れた。
しかしその自分の「想い」に変わることはなく、
墓参りとは「先祖や故人を想う」ことであり「向き合う」ことであり、「自分を見つめる」ということである。
そこに宗教観は無いということを改めて言わせて頂きたい。
さて、前回の宣言(?)通りに墓参りへ行ってきました。
まずは母方のお墓がある嵯峨野辺りの山にある「称念寺(しょうねんじ)/北嵯峨霊園(きたさがれいえん)」。
時間がたくさんあった訳では無かったのですが、簡単に調査をさせて頂きました。(1/3程度)
そして森本家の墓へ。
四条寺町にある小さなお寺「浄教寺(じょうきょうじ)」。
※それぞれの縁はリンク先でお願いします。
さて、この浄教寺は入るとすぐに「平重盛」の石碑が見られます。

小さなお寺なので普段は門も閉まってますし、ご覧になりたい方は予めお寺にご連絡すべきかと思います。
お墓の規模も大変小さなもので、あっという間に全ての墓の調査も完了してしまいました。
ちなみに我が家の墓は分家にあたるのですが、本家も同じ家紋がついています。
割梅鉢(わりうめばち)です。


割梅鉢は梅鉢の中心をくり抜いた特殊な「割(わり)」を使った梅鉢の変化系の紋です。
私もそうですが、父は染色補正師を生業とし、昨年亡くなった祖父と共に開業し、現在に至っているわけですが、どういうわけか、紋と関わり合いの深い職種でもあり、大宮華紋という独自の彩色法を用いた彩色紋というまでやっているのにも関わらず、今日に至るまで一度たりとも我が家以外で割梅鉢を見たことが無い、ということなのです。
このことを知ったのは私もまた仕事を始めた頃ですので、10年ほど前になります。
これらのことを綴ったことはWEBサイト大宮華紋森本内の家紋研究でご紹介していますので、ご興味のある方はそちらもご覧になってみてください。
http://omiyakamon.co.jp/kamon/wagaya/
また、このエピソードは『家紋を探る』(平凡社新書)にも掲載しています。
さて、墓参りを終え、皆で食事をした後に私は単独で近辺のお寺のお墓に調査に行くことにしました。
誓願時(せいがんじ)の墓所へ行こうと思ったその途中に目にとまったのが、誠心院(せいしんいん)。
ここは人通りが非常に多い新京極の通りに面しており、和泉式部のお墓が通りから見えるような感じになってます。
ここも見ていこうと調査を進めていると・・・
なにやら見覚えのある紋形を発見。
なんと、それは割梅鉢だったのです。(姓は伏せておきます)
よく見ると、うちの割梅鉢とは違い、軸付きで、鉢部分と花の部分が繋がっています。
とっさに「加賀梅鉢の割か!?」と思ってしまいましたが、よく考えると加賀梅鉢は花弁がそれぞれ離れてましたね。
つまり私が発見したこの割梅鉢は「軸付き割梅鉢」ということです。
すぐに親父に電話で報告しました。
長年見つからなかった我が家と同じ紋がついに見つかったわけですからそれはもう興奮でした。
ちなみにこの軸付きの割梅鉢ではあるが、実のところ、このブログではお馴染みの存在だということに気づかれた方はおられるであろうか?
私のプロフィールの写真には飼い猫のスコティッシュ・フォールドのミル君を使用している。(現在ではただのデブ猫)
その右側に軸付きの割梅鉢を付けてある。(小さくて分かりづらいでしょうが)

これは私の曾爺さんの紋付きを写真に納めたものをそのままデジタル加工したものです。
誠心院で発見した紋はまさにこれでした。
つまり軸付きであるかどうかということも、その家の中でも変化が大いにあり得るわけで、何が正しいとかは客観視出来ないということになります。
今回は我が家の定紋である割梅鉢の話しとなりましたが、他の家紋でも同じようなことは多々あるのではないでしょうか。
今回は掲載しませんが、祖母の着物には女紋として割り梅鉢を中陰にあしらったものもあります。
つまり「中陰割梅鉢」です。
このように家紋はその家の中だけでも様々な要因で変化していくものなのです。
紋形無限
とは正しくその通りだと思います。
後日、本能寺の墓所へ調査へ行くとまた割梅鉢のような紋に出会いました。
それは通常、五弁からなりたつ、梅鉢であり、割梅鉢ですが、それは六弁だったのです。
おまけに中央はのっぺりと装飾はありませんでした。
何か関連はあるのか興味は尽きないところです。
ちなみに我が家は特に大した家でもなんでもないです。
ただ、口伝えのみですが、当家は元は奈良県郡山の森本町出身で、森本村とかつて呼ばれた村があり、そこ庄屋をしていたと云われています。
加えて我が家には「菅原道真」肖像画の描かれた掛け軸が存在してます。
ただ、これは絵も決してうまいと言える物でもなく、希少価値もほとんど無いようなものかと思われます。
恐らく奈良県の菅原神社、かつては菅原寺と呼ばれた喜光寺(きこうじ)の檀家だった先祖が檀家向けに配られたものを家宝としたものなのでしょう。
っというわけで、今年のお盆は色々と新たな発見が出来た良い盆となりました。
ただし、盆の最後に高熱が出たことを除いては・・・
先祖が還ってくるとされるお盆。
そんな中、家紋調査をした罰が当たったのかもしれない。。。
と、心の奥底に思いを秘め。
今回ご紹介したお寺は「京都墓地調査地図」より場所をご確認して頂けます。
038:北嵯峨霊園/称念寺(きたさがれいえん/しょうねんじ)
039:浄教寺(じょうきょうじ)
040:東北寺誠心院(とうほくじせいしんいん)
041:誓願寺墓地(せいがんじ)
042:本能寺(ほんのうじ)
ARK@遊鵺
その後、じっくりと考え、また『葬式仏教の誕生』(松尾剛次著:平凡社新書)を読ませて頂いて、少し考え方に変化は訪れた。
しかしその自分の「想い」に変わることはなく、
墓参りとは「先祖や故人を想う」ことであり「向き合う」ことであり、「自分を見つめる」ということである。
そこに宗教観は無いということを改めて言わせて頂きたい。
さて、前回の宣言(?)通りに墓参りへ行ってきました。
まずは母方のお墓がある嵯峨野辺りの山にある「称念寺(しょうねんじ)/北嵯峨霊園(きたさがれいえん)」。
時間がたくさんあった訳では無かったのですが、簡単に調査をさせて頂きました。(1/3程度)
そして森本家の墓へ。
四条寺町にある小さなお寺「浄教寺(じょうきょうじ)」。
※それぞれの縁はリンク先でお願いします。
さて、この浄教寺は入るとすぐに「平重盛」の石碑が見られます。

小さなお寺なので普段は門も閉まってますし、ご覧になりたい方は予めお寺にご連絡すべきかと思います。
お墓の規模も大変小さなもので、あっという間に全ての墓の調査も完了してしまいました。
ちなみに我が家の墓は分家にあたるのですが、本家も同じ家紋がついています。
割梅鉢(わりうめばち)です。


割梅鉢は梅鉢の中心をくり抜いた特殊な「割(わり)」を使った梅鉢の変化系の紋です。
私もそうですが、父は染色補正師を生業とし、昨年亡くなった祖父と共に開業し、現在に至っているわけですが、どういうわけか、紋と関わり合いの深い職種でもあり、大宮華紋という独自の彩色法を用いた彩色紋というまでやっているのにも関わらず、今日に至るまで一度たりとも我が家以外で割梅鉢を見たことが無い、ということなのです。
このことを知ったのは私もまた仕事を始めた頃ですので、10年ほど前になります。
これらのことを綴ったことはWEBサイト大宮華紋森本内の家紋研究でご紹介していますので、ご興味のある方はそちらもご覧になってみてください。
http://omiyakamon.co.jp/kamon/wagaya/
また、このエピソードは『家紋を探る』(平凡社新書)にも掲載しています。
さて、墓参りを終え、皆で食事をした後に私は単独で近辺のお寺のお墓に調査に行くことにしました。
誓願時(せいがんじ)の墓所へ行こうと思ったその途中に目にとまったのが、誠心院(せいしんいん)。
ここは人通りが非常に多い新京極の通りに面しており、和泉式部のお墓が通りから見えるような感じになってます。
ここも見ていこうと調査を進めていると・・・
なにやら見覚えのある紋形を発見。
なんと、それは割梅鉢だったのです。(姓は伏せておきます)
よく見ると、うちの割梅鉢とは違い、軸付きで、鉢部分と花の部分が繋がっています。
とっさに「加賀梅鉢の割か!?」と思ってしまいましたが、よく考えると加賀梅鉢は花弁がそれぞれ離れてましたね。
つまり私が発見したこの割梅鉢は「軸付き割梅鉢」ということです。
すぐに親父に電話で報告しました。
長年見つからなかった我が家と同じ紋がついに見つかったわけですからそれはもう興奮でした。
ちなみにこの軸付きの割梅鉢ではあるが、実のところ、このブログではお馴染みの存在だということに気づかれた方はおられるであろうか?
私のプロフィールの写真には飼い猫のスコティッシュ・フォールドのミル君を使用している。(現在ではただのデブ猫)
その右側に軸付きの割梅鉢を付けてある。(小さくて分かりづらいでしょうが)

これは私の曾爺さんの紋付きを写真に納めたものをそのままデジタル加工したものです。
誠心院で発見した紋はまさにこれでした。
つまり軸付きであるかどうかということも、その家の中でも変化が大いにあり得るわけで、何が正しいとかは客観視出来ないということになります。
今回は我が家の定紋である割梅鉢の話しとなりましたが、他の家紋でも同じようなことは多々あるのではないでしょうか。
今回は掲載しませんが、祖母の着物には女紋として割り梅鉢を中陰にあしらったものもあります。
つまり「中陰割梅鉢」です。
このように家紋はその家の中だけでも様々な要因で変化していくものなのです。
紋形無限
とは正しくその通りだと思います。
後日、本能寺の墓所へ調査へ行くとまた割梅鉢のような紋に出会いました。
それは通常、五弁からなりたつ、梅鉢であり、割梅鉢ですが、それは六弁だったのです。
おまけに中央はのっぺりと装飾はありませんでした。
何か関連はあるのか興味は尽きないところです。
ちなみに我が家は特に大した家でもなんでもないです。
ただ、口伝えのみですが、当家は元は奈良県郡山の森本町出身で、森本村とかつて呼ばれた村があり、そこ庄屋をしていたと云われています。
加えて我が家には「菅原道真」肖像画の描かれた掛け軸が存在してます。
ただ、これは絵も決してうまいと言える物でもなく、希少価値もほとんど無いようなものかと思われます。
恐らく奈良県の菅原神社、かつては菅原寺と呼ばれた喜光寺(きこうじ)の檀家だった先祖が檀家向けに配られたものを家宝としたものなのでしょう。
っというわけで、今年のお盆は色々と新たな発見が出来た良い盆となりました。
ただし、盆の最後に高熱が出たことを除いては・・・
先祖が還ってくるとされるお盆。
そんな中、家紋調査をした罰が当たったのかもしれない。。。
と、心の奥底に思いを秘め。
今回ご紹介したお寺は「京都墓地調査地図」より場所をご確認して頂けます。
038:北嵯峨霊園/称念寺(きたさがれいえん/しょうねんじ)
039:浄教寺(じょうきょうじ)
040:東北寺誠心院(とうほくじせいしんいん)
041:誓願寺墓地(せいがんじ)
042:本能寺(ほんのうじ)
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