家紋黎明期

実に、実に、家紋に対する意識が希薄ではないだろうか?
と、思うことが多々ある。
家紋に関して、このようにブログを書かせて頂いている。
私の書くその内容が人々に共感を与えるようなものではないのであろうし、目新しいことも特に書いているわけでもない。また駄文でもある。
私自身の知名度が低いということもあるであろうし、このブログ自体を購読する方が少ないということもあるであろう。
単純に毎回毎回長文で読む気が失せる、ということもあるだろう。

それにしても、である。
例えばtwitterやmixiで家紋に関することも呟くことも少なくない。
決して多くは無いが、それなりの人数のフォロワーやマイミクの目にチラリとでも目にしているはずだ。
しかしその多くは無反応である。
単純に自分の家の紋は「○○」と名言することにより、自分の苗字がバレるという可能性から、アクションしないのではないか?
とも考えたが、そうではないと思われる。
そもそも多くの方が家紋に対して無知である。
それが自分の家のことであるという意識すらほぼ無いに等しい。
古来より日本人は血族を何よりも尊重してきたが、現代においては血族に対してのそのような考えはほぼ無いに等しい。
「家を大事にする」「家を守る」
という概念自体が現代人の心の中から消えかけている。
かと思えば、「親や兄弟は大事。大好き」という方が多いのも事実。
しかしそこに「家」という概念は無い。

要因は様々に考えられるが、核家族化や不景気による経済の事情などから「家を守る」という概念の消失があるのかもしれない。
ゆえに家紋の存在すら知らない人たちが多いのだろう。

家紋は苗字と対であると考えて良い。
つまり苗字を持っている以上は家紋があると考えられる。
もし自分の家の紋、家紋が何か知らないということであれば、まずは身内に聞くことだ。
この「身内に聞く」という行動そのものが「家を守る」ということに繋がるのではないだろうか、と考える。
いや、そのきっかけとなるのではないだろうか。
「身内に聞く」ことで家紋は分かるだろうし、仮に分からなくても何か家紋のついたものを探してみるのもいいだろう。
家の中に何も家紋に関するものが見つからない場合はお墓を訪ねてみるといい。
全ての墓がそうではないが、多くの家のお墓には家紋が刻まれている。
それでも分からない場合は連絡の取れる親族を虱潰しに聞いてみるのがいいだろう。
何らかの事情でそれが出来ない、またはいない、これ以上調べる要素が無い、という時は我々のような家紋研究家やお寺、呉服関連業者、石材屋などに相談すると良いだろう。
苗字と出身地から、一番可能性の高い紋を教えて貰えるはずだ。

そのような場合は、どうせならご自分で家紋を選んでみるのもいいだろう。
また、専門家に依頼して新しくデザインしてもらうのも一興だ。

近年、このような方が実際に当社(染色補正森本)に依頼されることも少なくない。
自分の家の紋が分からないという状況は確かに家紋離れ、と考えられるが、実際のところ、我々庶民が家紋を持つようになってからそんなに多くの歴史があるわけでもない。
明治8年(1875年)2月13日の平民苗字必称義務令で、国民全てが苗字を持つこととなる。
これとともに家紋も持つようになってくるわけだ。
ただし、これは苗字と同じく義務ではないため、当然持たなかった家も多くあるだろう。
日本人の全てが家紋を持つ、といわれるが、実際には持ってない家もあるのかもしれない。
ただ、これは法律で決まっていることでもなんでも無いわけだから今から持っても何の差し支えもない。
逆算すると全ての国民が苗字を持つようになってから、まだ150年しか経ってない。
苗字とともに家紋を持つこととした家が現在の大半であろうと考えると、まだ庶民に根付いた家紋の歴史はたったの150年なのだ。

語るべきことは多くあるわけだが、ここは省略させて頂くとして。

2011年現在。
家紋研究家と自称し始めてからまだ日は浅い私であるが、日々思うことがある。
まさにそれはタイトルの通りである。
家紋は今、「黎明期」なのではないだろうかということだ。
家紋が誕生して何百年と経ち、最も家紋が華やいだのは江戸の元禄の頃とされる。
大正に入った頃には沼田頼輔氏が『日本紋章学』と発表し、ここで始めて家紋は定義が作られることとなる。
以来、家紋は紋章学をベースとして通説のみであった。
しかし現代では日本家紋研究会会長高澤等氏をはじめとして、その通説に異を唱え新たな説を唱える者たちが現れ始めた。
さらにインターネットという新たなツールの出現により、家紋はよりいっそう輝き始めてると言っていい。
それはもちろん戦国ブームや幕末ブームと共に注目を集め始めているというのも事実。
そして私のように家紋を知って貰おうという人々が多く出現しはじめた。

これは新たな家紋文化の始まりなのではないだろうか。
古い物に決して縛られることなく、新時代に合わせたこれからの新しい家紋の形を我々は創っていくべきであると私は考える。



ARK@遊鵺



PS.
ブログを書くときはいつも後先考えず一気に書いています。
ゆえに支離滅裂なことを言ってることも多くあるかと思いますがその辺りはご容赦願います。
と、いう言い訳。御免。
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プロフィール

森本勇矢

Author:森本勇矢
京都市在住。41歳。
本業である染色補正の傍ら家紋研究家として活動する。
一般社団法人京都家紋協会代表。
京都家紋研究会会長。
日本家紋研究会副会長。
月刊『歴史読本』への寄稿をする他、新聞掲載・TV出演など。
著書『日本の家紋大辞典』(日本実業出版社)
家紋制作、家系調査などのお仕事お待ちしております。
ご連絡はFacebook、Twitter、Instagramなどからお願いします。

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