【祇園祭】八坂神社の御神紋はキュウリではない【マクワウリ】

八坂神社の御神紋は「五瓜に唐花(ごかにからはな)」と「左三つ巴(ひだりみっつともえ)」である。

五瓜に唐花

五瓜に唐花紋は別名「木瓜(もっこう)」ともいう。
ただし、五瓜は五弁だが、四弁になると「木瓜」と名称を変える。
織田信長の家紋としても有名な五瓜に唐花紋は織田木瓜(おだもっこう)とも呼ばれている。

現在もこの紋については謎とされており、明確な答えが出ていない紋の一つである。
私がこの紋の謎を追い始めて四年、五年は経っているのではないだろうか。
御簾の帽額(みすのもこう)に描かれた文様が発祥とされている五瓜に唐花紋は「窠(か)」(穴冠に果文字)と呼ばれる。
窠とは地上に作られる鳥の巣のことで、かつては木に作られるものを「巣」と呼び、地上に作られるものを「窠」と呼んだという。
この「窠を象ったもの」ともいわれるが、非常に怪しい。
初めて使ったのが徳大寺家とされる。

この紋について、今までに幾度となく、原稿を書き直した。
『歴史読本』に載せる原稿として当初は執筆していたのだが、結局まとまることなく、連載は終了してしまった。
このブログに載せる事柄はこの紋に関する極一部の情報である。
今後も、この紋の真相を追い続ける所存だ。

八坂神社の御神紋はキュウリではない
少なくともこれは間違い無いだろう。
様々な話が入り交じって出来た俗説である。
かなり乱雑ではあるが、次に四項目に分けて書いてみた。
今後もまだ見ぬ文献などや話で私の考えはどんどん変わると思うが、現在の私の考えを書いてみた。


キュウリではなくマクワウリ

この五瓜に唐花紋がキュウリの断面に似ていることから、八坂神社の氏子や祇園祭の山鉾町の人びとは祇園祭の期間である七月はキュウリを食べないという。
この話から、五瓜に唐花紋は「胡瓜の断面を象った紋」と言われることがある。
しかしこれは明らかに間違いである。あくまでも「胡瓜の断面に似ている」とされているだけである。
五瓜に唐花紋は祀神である、スサノオ及び、かつての祀神である牛頭天王を表す紋。
このことに違いはないが、何故この紋が選ばれたのかは謎である。

そもそも神社が紋を使い始めた時期も不明だ。
「洛中洛外図」で現存する最古のものは『歴博甲本』(1525年頃。室町時代)。
これを見るとすでに山鉾には五瓜に唐花がついていることから、少なくともこの頃にはすでに八坂神社は五瓜に唐花紋を使用していたのだろう。
また、商家には屋号も見られる。
すでに室町時代には日常的に紋が見られるような時代であったことは間違い無いだろう。

さて、五瓜に唐花は御簾にある模様が紋章化した紋であるとされている。
これが事実であれば、胡瓜を象った、というのは間違い無くデタラメだ。
そもそも「五瓜に唐花紋は胡瓜の断面に全く似ていない」。
私が「胡瓜の断面」の話を知った時、「似てないのになんで似てるとか言ってるのだろう?」と不思議でならなかった。

結論を先に書くが、私の導き出した答えは、
牛頭天王と密接な関係にある瓜、すなわちマクワウリ(真桑瓜・甜瓜)と「胡瓜の断面が徳川家の葵紋に似ることから、胡瓜を食べない」という話が入り交じって混同されてしまったのではないか?
ということである。
どちらかと言えば、胡瓜の断面は五瓜に唐花紋よりも徳川の三つ葵紋に似ているように思う。


江戸時代、胡瓜は食べられていた(ただし美食家曰く、不味い)

7/2に染色補正森本で行ったイベント「家紋と京都の四方山話」の中でお話したことの一つが7/4に京都新聞に掲載された。
WEB版『京都新聞』はこちらから
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20140707000020

不細工なおっさんが写っているので非常にお見苦しく申し訳ない。
さて、この記事に書かれたことは実は正確ではない。

「江戸時代に胡瓜は食べられていない」
そんなことはない。食べられていた。
胡瓜は奈良時代~飛鳥時代の頃に大陸から渡来している。
「胡」はペルシャのことであり、胡人というと「ペルシャ系ソグド人」を指す言葉である。
ソグド人はもちろんペルシャ人のことである。因みにペルシャは現在のイラン。
ペルシャから直接シルクロードを通ってやってきたのか?
それとも半島辺りに定着した瓜が渡来してきたのか?
そこまでは分からない。
いずれにしても胡瓜は古くから日本に根付いていた。もちろん食用としてである。

徳川光圀は「毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず」
貝原益軒は「これ瓜類の下品なり。味良からず、かつ小毒あり」

胡瓜についてこんなにも不味いと言っている。
しかし、庶民にとっては無くてはならない食材であったに違い無い。
不味くて食べられないものであるのならば、現代まで栽培されることはなく、廃れてしまっているだろう。
因みに胡瓜が現在のように美味しく品種改良されたのは幕末の頃であるという。
「不味い」と言っている人たちは位の高い人間であり、美食家であるから、イコール食べていないにはならない。

また、先にも書いたとおり、
「胡瓜の断面が徳川家の葵紋に似ることから、胡瓜を食べない」
とも言われたそうであるから、この話も関わりがあるかもしれない。
「徳川を喰うな」
そう言っているようにも捉えることが出来なくもないが、そうであるとするならば、自虐的過ぎる。


マクワウリから胡瓜に変わった

これは間違い無いだろう。
牛頭天王に関わる話ではその多くが「瓜」である。
この瓜は「マクワウリ」のことであるが、マクワウリの断面を見ても特に五瓜に唐花と似ることはない。
因みに瓜系で最も五瓜に唐花に似るのは「パパイヤ」である。
パパイヤは漢字で書くと「番木瓜」と書く。
「木になる番い(つがい)の瓜」である。これを輪切りにすると五角形であり、五瓜に唐花紋と酷似する。
さらに中国では「木瓜」とは「花梨(カリン)」のことであり、「モークワ」と発音され、台湾では「ボッコエ」と発音される。
これが日本に伝来の際、モッケやボッカなどに訛ったようだ。
少し話が逸れるが、
古い紋帖などを見ると瓜(か)紋は旧字表記で「クヮ」と読みが書かれている。
後世「クヮ=カ」と直されたが、実は文字通りの「クワ」という表記が正しく、瓜(カ)ではなく、瓜(クワ)だった、という可能性もあるかもしれない、と最近思ったりもする。
もしそうであるとすると、五瓜に唐花紋の五瓜とは文字通りの瓜の可能性があるのではないだろうか。
極希だが、古い紋帖では「五瓜(ごか)」を「五瓜(ごうり)」としている表記があるのも事実である。

そもそも私は「何かの断面」という解釈ではない、と思っている。
しかし仮に断面説を肯定するのであれば、
パパイヤの断面図であり、日本では定着していなかったパパイヤの変わりに最も普及していた瓜であったマクワウリが選ばれた。
そう解釈も出来るのではないだろうか。


八坂神社

では、最後は簡単に八坂神社の歴史について書いておく。(facebookに投稿したものをそのまま引用)

八坂創建以前、八坂郷には八坂造(やさかのみやつこ)と名乗った渡来系の人びと(出雲系の可能性もアリ。八坂神社には方墳がある。方墳は出雲族の古墳)が住んでいた。
八坂には底が深い池があり、水の豊富な地域であった。
八坂造はこの池に龍神を祀ったという。
池周辺では瓜(マクワウリ)を栽培し、龍神に奉納していた。

八坂神社は高句麗の伊利之使主(いりのしおみ)が656年に創建。
ただし、この頃の名称は不明。
伊利之使主は創建と共に八坂造を名乗るようになった。
この時に祀ったと思われるのが頗梨采女(はりさいにょ)である。
元より、祀っていた龍神と集合した可能性が高く、頗梨采女が神泉苑の善女竜王と同一視されるのはこのことが原因と思われる。
876年に僧である円如が播磨国広峯に祀られる牛頭天王を分霊し、観慶寺という寺となる。この寺が祇園寺と呼ばれるようになったが、これは牛頭天王が祇園精舎の守護神といわれるためである。
926年に僧(不明)が祇園天神堂を建立。この天神堂が現在の八坂神社の原形。
さらに934年には祇園感神院を建立することとなる。

いつからどのタイミングで、牛頭天王とマクワウリが関係を持つのかは不明。
逃げてきた牛頭天王がマクワウリ畑に隠れたことで難を逃れ、栽培していた村人に「瓜のお陰で助かったから、瓜を珍重するように」というような内容を牛頭天王が言ったという。
この話が牛頭天王とマクワウリを結んだ話のきっかけかもしれない。

因みに牛頭天王は新羅から瀬戸内より備後国、つまり現在の広島県福山市に渡来している。
現在の福山市の素盞嗚神社がこそが日本で最初に牛頭天王を祀ったとされる場所だ。
因みにこの神社が茅の輪の発祥の地といわれる。
この後に播摩に勧請。
その後、播摩の牛頭天王は京都の八坂郷の瓜生山に降臨したとされる。
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八坂神社

京都の市バスに乗るのが初めてで、路線がどうなっているのか皆目見当がつきません。 とりあえず来たバスに適当に乗って、行き当たりばったり移動することにしました。 なんせ京都は街中いたるところが名所なので、どこで降りても見るべきところがありますから。 ということで、何も考えずに「祇園」の地名に反応してバスを降りてしまいました。 目の前に見えるのは八坂神社です。 特にあてもなく...

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大変参考になりました。

大変参考になる記事で、有難うございました^^
当方のサイトでも、引用させて頂きましたので、宜しくお願いしますm()m

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きゅうりはもともと
「黄瓜」と表記されていて
その別表記が「木瓜」です。

家紋の木瓜との関係は不明だそうです。

Re: タイトルなし

コメントありがとうございます。
そうですね、かつてはキュウリは熟れてから食したそうですね。
熟れると黄色くなりますしね。
中国では「木瓜」を「モォクヮ」と発音するようです。
色々なものが入り交じってしまっているような感じがします。
祇園の牛頭天王と同じく。

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森本勇矢

Author:森本勇矢
京都市在住。41歳。
本業である染色補正の傍ら家紋研究家として活動する。
一般社団法人京都家紋協会代表。
京都家紋研究会会長。
日本家紋研究会副会長。
月刊『歴史読本』への寄稿をする他、新聞掲載・TV出演など。
著書『日本の家紋大辞典』(日本実業出版社)
家紋制作、家系調査などのお仕事お待ちしております。
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